女方として人気・実力ともゆるぎない地位にある尾上菊之助が、
立役の主役、それも、
女方がよく兼ねる、白塗りの優男の役ではなく、
荒ぶる武士を演じるというので、
歌舞伎ファンの間では始まる前から話題沸騰していたこの公演。

菊之助は非常に丁寧に、初役の知盛を演じていました。
それは好感が持てましたし、やはり力がある、と感じましたが、
やっぱりニンではないな、とも思いました。
「ニン」というのは、
「当たり役」「その役にピッタリ」という意味です。
その人の醸し出す雰囲気と、役が求めるものとがピッタリ一致するとき、
役者は自分の持てる以上の力を発揮します。
逆に
ニンでないと、
一生懸命務めているのに、それほどのインパクトが感じられない、
そういうことがままあるものです。

わかりやすくいえば、
お姫様なのにどこか庶民っぽい匂いがするとか、
逆に、貴公子の役なのに気品がない、とか、そんな感じです。

菊之助の平知盛は「荒ぶる軍神」というよりも、「平家の貴公子」でした。
彼は、平敦盛役をやったことがありますが、
同じ平氏で、同じ源平の合戦で敗れた者でも、
敦盛は16歳、笛を吹くのが好きな紅顔の美少年であり、戦も初陣です。
こういう役は、女方を主に演じる菊之助にとってもニン。
気品といい、端正なたたずまいと言い、絶品でした。

しかし知盛は、手練れの猛者。
背中に矢を受け、額から血を流しながらも、
バッタバッタと源氏の兵を切り刻んでいきます。
これまで、と観念しながらも、
「生き変わ~り、死に変わ~り」永遠に源氏を恨み続けるぞ、と
怖ろしい形相で義経に挑みかかる男です。
最後は自分の首を誰にも渡すまいと、
重くて大きい碇を抱いて、まっさかさまに海へとダイブする男です。
負け戦だったとしても、それは時の運。
軍神としてのでっかさ、有無を言わせぬ恐ろしさには、
敵も味方も震え上がったことでしょう。

菊之助には、そのような、いわば大魔神のような恐ろしさがなかった。
でも、だからこそ、
必死で義経に安徳天皇の行く末を頼むところが、
敗戦の将として等身大の人間として浮かび上がったように思います。

彼らは身を賭して戦う。
何のために?
「玉体」を護持するために。

「玉体」とは何でしょう?

天皇のことです。
ここでは平清盛の孫である安徳天皇のために、
みんな命を落としていくのです。
そして、「平氏は負けた。が、天皇のことは引き受けた」と
安徳天皇を抱いて去る義経もまた、
すでに兄・頼朝から追われる身。
次は自分が討たれる番なのでした。

一兵士として死んでいく知盛に対し、
今や戦況が傾いていく義経は、自らの運命を予感し、
同じもののふとしての共感と憂いを瞳の内に浮かべつつ
退場していきます。
しんがりの弁慶も、
死んでいった知盛に、弔いと敬意の法螺貝を吹くのです。

千秋楽、
皇太子殿下が愛子様と一緒にご覧になりました。
平氏の知盛に守られていた安徳天皇が、
今は義経の手のあって守られている。
幼い安徳天皇はこれまで守ってくれていた知盛に「義経を恨むな」と言い、
その知盛が死ぬ覚悟であると知って「さらば」と引導を渡します。
殿下は安徳天皇の直接の子孫ではありませんが、
それでも「天皇家」という長い歴史の帯の中に生きていらっしゃる以上、
まったく無関係にご覧にはなれないのではないでしょうか。

天皇だけではありません。
歌舞伎には、「統べる者、上に立つ者」はいかにあるべきか、
いかにあってほしいと庶民は思っているのかが切実に描かれています。

自分を守るために、自分の兵が命を落としていく、
兵だけではない、乳母や官女も次々と。

安徳天皇の覚悟の御製を聞いて官女たちが
一人、また一人と覚悟の入水する様は、
グアム島のバンザイクリフのようでもあり、
沖縄のそれのようでもありました。

70年間戦争のなかったことを手放しでは喜べず、
「平和ボケ」などとおっしゃる方もいるようですが、
本当に血を流さなくても、戦争の辛さ、哀れさ、虚しさを感じられるのが、
エンターテインメントのよさです。

今回、中村梅枝がお柳(実は)典侍(すけ)の局を演じましたが、
梅枝の典侍の局には威厳があって、
銀平(実は知盛)の妻・お柳の場面に比べ、
典侍の局になった途端、知盛よりも身分の高い女官であることが見てとれて、
非常に素晴らしかったと思います。

一座皆、よく通る声でセリフを理解しやすく、
小さいお子さんも物語にぐっと惹きつけられ集中して観ていました。

勇猛果敢な武士・知盛の潔さを描いた作品ですが、
いばりちらしてすぐに武力に頼ろうとする不埒な武士に対しては、
多くの合戦で名を上げた知盛が
「武(さむらい)という時は戈(ほこ)を止(とど)めると書きます」と
武士の役目は戦を起こさないこと、いたずらに刀を抜きません、と
と諭す場面もあります。

戦後70年となる今年の夏、
一ヶ月にわたり、たくさんの日本人が初めて「碇知盛」を観た。
そのことが、きっと日本の力になると、私は信じています。