2015年9月昼の部では、
「競伊勢物語(だてくらべ・いせものがたり」が素晴らしい!
何がいいって、
尾上菊之助の信夫(しのぶ)が最高です!

幸せいっぱいの新婚さんのはなやぎ、
夫のためにプレゼントしたい一心で冒険してしまうところ、
すべての罪を自分だけで終わらせるために、
大好きな母親の前で悪い子ぶろうとするが本心ではないところ、
目の前に実の父親が現れてうれしがるけれど、
育ての母を心から愛するところ、
育ての母のためにも父の言いつけに従うも、
親子の名乗りをしたばかりのその父に殺される運命を、
けなげに受け入れるところ・・・。

ジェットコースターな1日を過ごすことになった一人の田舎娘の
心境が手に取るようにわかります。
もう、すべてがパーフェクト!

このところ、「碇知盛」など立役への挑戦が続く菊之助ですが、
女方としての自分の魅力、力量、あるいは女方の可能性に
改めて目覚めたのではないでしょうか。
夜の部「伽羅先代萩」の沖の井とともに、一回り説得力が増したように思いました。
(菊之助の政岡、観てみたいです!)

もちろん、老母の優しさと悲哀を演じたら右に出るものはいない中村東像の母・小由は
今回も絶品です。
なんでこの人は、全身から無垢な母性オーラを放てるんでしょう。
わざとらしさ、たくんだいやらしさがまったくありません。

紀有常がなぜ娘・信夫を殺さねばならないのか、
やむにやまれぬ彼の立場が、今回はあまり丁寧に描かれていません。
だから
左遷されていた辺境の地で土地の女に産ませた娘を気心知れた小由夫婦に預けっぱなしで出世し、
20年も経って「おお、ちょっと寄ってみたけど元気だった? 娘にも会いたいな~」
みたいなことを言って娘に会って、
「僕が血を分けたパパです。君も貴族。ダンナも一緒に出世させるから都においで」と誘い、
でも実は自分の娘として育てているけど本当は主人の娘である井筒姫と似てるからって
姫を窮地から救うために首斬って身替りになれってどうよ?

実はこのとき、有常自体がすでに囚われ人で、
井筒姫の首を持ってくるか監視されている、とか、
そういう背景がわからないと本当にひどいヤツにしか見えないんですが、
それでも吉右衛門が信夫に斬りつけるときの
「ゆるしてくれ!」という叫びには、
有常の苦悩と悲痛のすべてが込められていて、
すでに有常の全身がズタズタで、血がほとばしり出ているようで
私はこの一言だけで、有常を赦せるような気がしてしまいました。

・・・まあ、私がゆるしてもしかたないんですが。
ゆるしたくもないんですが。
それに信夫は、もうゆるしてるし・・・。

でも、実の父だと言われて一緒に来いって言われて、
十二単衣を父の手づから着せてもらって櫛けづってもらって、
いきなり「死んでくれ~!」ですからね・・・。
本当にゆるせるものなんだろうか。
信夫は死罪にあたる罪を犯してしまっていて、捕まれば育ての母にも累が及び、
その連座から抜け出すためにまず母と縁を切るという信夫の側の理由もあったので、
どうせ死ぬなら母に迷惑がかかからない死に方でっていう究極の選択ではあるものの・・・

優しい母がいて、愛してくれる夫がいて、
そんな平凡で穏やかな生活が、たった一日で崩れていく、
悲しいお話でした。

(「競伊勢物語」の詳しいあらすじはこちらをご覧ください)