仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:河庄

4/10(金)、講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」の第6シリーズが始まりました。
16回目となる4月に取り上げたのは、
近松門左衛門の「心中天網島」です。

昨日も書きましたが、
今月歌舞伎座の中村鴈治郎襲名披露公演夜の部で上演されている
「河庄(かわしょう)」は、
その上の巻、発端の部分にあたります。

今月の舞台で
今までと違った治兵衛を感じた私は、
4月10日の講座での講義内容を一部変更し、

「心中天網島」を
上の巻「河庄」=治兵衛の物語
中の巻「紙屋内」=おさんの物語
下の巻「道行名残の橋づくし」=小春の物語

と位置付けて、3人それぞれの心理に新たな視点で迫りました。

また、
「河庄」と同じく玩辞楼(がんじろう)十二曲(中村鴈治郎の得意演目)に名を連ねている
「天網島時雨炬燵(てんのあみじま・しぐれのこたつ)」にも言及しました。
これは近松の「心中天網島」初演から数えて約半世紀後に、
近松半二が「心中紙屋治兵衛」として改作した際、
「紙屋内」のラストシーンを大幅に変更してできあがったもので、
「河庄」と同じく、単体で(見取り狂言)上演されます。

原作である近松門左衛門の「心中天網島」と
改作された近松半二の「心中紙屋治兵衛」との比較もして、
「冥途の飛脚」や「女殺油地獄」なども含め、
近松の名作は時代を200年も先取りしていたことを確信しました。

いや~、
近松は本当にすごいです。
近松の原作通りに上演し続けていたら、
心中は減ったというのが私の持論。
リアルです。容赦ないです。
 

近松門左衛門の「心中天網島」

この発端となる部分が、
歌舞伎座の中村鴈治郎襲名披露公演夜の部で上演されている
「河庄(かわしょう)」
です。

紙屋として大坂天満に店を構える治兵衛は、
妻子がありながら遊女・小春にいれあげて
二人は「もう心中するしかないね」と約束を交わしている。
その後なかなか会えずにいたけれど、
ようやく小春の出ている店にたどり着いた治兵衛。
しかし、そこで観たものは、最愛の女がほかの客に、
自分との心中が本意ではないことを告白しているところだった!

信じていた女に騙されたと思い込んだ男の
破れかぶれで浴びせる罵詈雑言。
一人前の男が見せる、大醜態です。

最初観たときは、治兵衛さんのあまりのダメンズぶりに辟易、
「いじめ」を目撃するかのごとき居心地の悪さばかりで
ちっとも物語にのめりこめなかった。

だって、
「おまえ、オレと死ぬって約束したじゃないか!」と怒り出し、
自分の愛人を罵倒する姿が醜くて醜くて。
女相手に声荒げるは、殴りかかろうとするは、でちょっとしたDVだし。
そうかと思えば、これだけコケにした女に対し、
手のひら返したみたいに猫なで声を出すのも、ほんっと気色悪かった。

自分は妻子もち店もち、
相手は自分の身に何の保障もない一介の遊女。
弱い者いじめにも程がある!
何考えてんだろう。
こういうのを女の腐ったのみたいだっていうんだ、
自分さえ気持ちよければそれでいいのか!
ま、そうじゃなきゃ遊女になんか手をつけないか・・・とか、
はっきり言って、後味悪すぎ。

でも「心中天網島」って近松門左衛門の最高傑作と言われてる。

ほんとにこれ、絶対「最高傑作」なの??

この疑問から原作を読み直したら、本当に面白かった!
「河庄」だけだから意味がわからいんだ、
全部読めば、こんな深い話はない!
そう確信したのでありました。

ですから、
歌舞伎ビギナーズの皆さんには
正直「河庄」はハードル高いかもしれません。
でも、
「わからなくても1回観た」からこそ、
次に新しい発見を得られるというのも歌舞伎の面白さ。

何を隠そうこの私、
あれほど苦手意識のあった「河庄」、
「単なる発端にすぎない」と思っていた「河庄」だったのに、
今回、
新がんじろはんの「河庄」を見たら、今までと見方が変わったのです。

単なるDV男と、恋愛依存症の女、みたいに思い込んでいましたが、
罵倒する男も、
嘘をつく女も、
溢れんばかりの愛のかたちであることに気づかされたのです。

この舞台の「すべて」を握ると言われている出の場面
「魂抜けてとぼとぼうかうか」の意味もよくわかったし、
小春を演じた中村芝雀もかわいらしく、
耐える演技の中に、体中から治兵衛への愛が溢れていた。

先日インタビューさせていただいたとき、
「お客様に共感していただける舞台にしたい」とおっしゃっていた鴈治郎丈、
私を感情移入させたんだから、大成功ですね!

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