仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:市川染五郎

「伊達の十役」は
仙台藩伊達家の御家騒動を題材にした作品群「伊達騒動もの」の一つ。
昭和
54年(1979年)、
「スーパー歌舞伎」の生みの親、三代目市川猿之助(現・猿翁)が
150年ぶりに復活させました。
みどころは、なんといっても一人十役の「早替わり」。
スーパー歌舞伎では定番の「宙乗り」もあり、
ワクワク感満載のスペクタクルな仕掛け=ケレンを随所に施した作品です。
今回、
この十役に挑戦したのは市川染五郎。
乳人政岡/仁木弾正/足利頼兼/高尾太夫/荒獅子男之助/
土手の道哲/赤松満祐/絹川与右衛門/腰元累/細川勝元と、
重要かつまったく異なる役柄を見事かつスピーディーに演じ分けます。
日ごろから、
和事・荒事、時代物・世話物と幅広いジャンルの立ち役(男役)ができ、
その上静御前のような女形も務められる染五郎ならではの、
当たり役といえましょう。

 詳しくは→

2002年、
歌舞伎を愛してやまない劇団☆新感線の主宰者いのうえひでのりが、
市川染五郎を主役に迎え中島かずきとともにつくりあげた
「いのうえ歌舞伎」の名作「アテルイ」。
この作品が2015年、
歌舞伎
NEXT「阿弖流為」と銘打って、「全員歌舞伎役者」で上演されました。
大和朝廷側で蝦夷征圧の命を受ける坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ・中村勘九郎)と
蝦夷の勇者・阿弖流為(あてるい・市川染五郎)の、
雄々しく潔い友情と、哀しい結末。
謎の女性剣士・立烏帽子(たてえぼし・中村七之助)と、
彼らの運命をにぎる蝦夷の神・アラハバキ。
劇団☆新感線では2人の女優が演じていた立烏帽子と鈴鹿を
中村七之助が1人二役で演じることにより、
さらにストーリーがわかりやすくなっています。
市村萬次郎・坂東彌十郎らベテラン勢も活躍。
女形のもつ独特の存在感と、
歌舞伎役者の圧倒的身体能力を如何なく見せつけた本作。お見逃しなく!
詳しくは→ 

 

「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」は、富の市(とみのいち)という盲目の男が、
悪事を悪事とも思わず盗み、騙り、押し入り、殺人など次々とやってのけ、
検校という、盲人としての最高位につく話です。

盲目の人たちの職業(概して按摩と三味線弾き)を守るため、
当道座という互助組合があり、その地位は細分化され、
検校>別当>勾当>座頭など、厳然としたヒエラルキーがありました。
検校は地位も上なら金も相当ため込んで、金貸しもしていました。
検校になるということは、
一介の盲人としてだけでなく、健常者と比較しても尋常でない出世です。
しかし富の市は、自分の面倒を見てくれていた不知火検校夫婦を殺すことで、
その後釜についたのでした。

この不知火検校、今回の歌舞伎は宇野信夫作。
私は井上ひさし原作の舞台を蜷川幸雄演出・古田新太主演と、
栗山民也演出・野村萬斎主演でそれぞれ観ています。(こちらは「藪原検校」)

井上版は、富の市と同じ盲目で検校まで上り詰めた人間として、
塙保己一(はなわ・ほきいち=国学者。教科書に出てくる人)を登場させています。
悪事ではなく、本当に努力して上り詰めた人を富の市のリフレクションとして立てたことで、
富の市の悪行はさらに鮮明になり、
またグロさもエロさも容赦ないほどリアルで、ラストシーンはもう…
しばらくお蕎麦は食べられませんでした。

宇野版は、歌舞伎ならではのお約束や様式で表現しますから、
殺人も暴行も、井上版を知る者にはかなりあっさりめに感じます。
でも、そこにねっとりした味を加える松本幸四郎!
さすがの役者ぶりで座を引っ張ります。

旗本の細君浪江(中村魁春。若々しく可愛らしかった!)をモノにする雷雨の夜のシーンは、
さながら夫と舅の棺桶の前のアン王女を口説き落とすリチャード三世。
あの場面、そうそう納得させてくれる役者はいませんが、
一度幸四郎で観てみたいと思わせてくれました。

そして一見根っからの悪党のようでありながら、本当は女の真心を求めていること、
しかしそんなものはない、万事はカネのこの世に絶望して生きていることを、
表情やセリフの言い回しのほんの一瞬で表しています。

お縄になって野次馬に罵倒されると
太く思いっきり生きた自分に胸を張り、晴眼者の小心を嗤い、引っ立てられて幕。

「盲人はかわいそう」という見下した同情心を木っ端微塵に砕く富の市の
したたかすぎる生き方はもちろん褒められたものではありませんが、
盲人だからといって世間様をはばかるようにして生きなければならない道理はない!と
堂々と人生を闊歩する姿には、
さまざまなコンプレックスからうつむき背中を丸くして自信をなくしている人々には
風穴を開けるようなエネルギーが感じられるのではないでしょうか。

富の市の相棒となる生首の次郎(検校となった後は手引の幸吉)役で、
市川染五郎がやくざな男を好演。
私は股旅ものとか、ちょっと斜に構えた日陰者を演じる染五郎が大好きです。


1月24日、新装歌舞伎座は初めてとおっしゃるビギナーをお連れして、
歌舞伎座に観劇にまいりました。
昼と夜とどちらのチケットを取るか、考えに考えて、
玉三郎が夕霧太夫を務める「吉田屋~廓文章」の華やかさと、
「直侍」が物語としてわかりやすいかと思い、夜を選択しました。

玉三郎の打掛はほんとに美しくて、3階から見てもため息が出るほど。
わざわざ背中を見せて立って全体を絵のように見せてくれるポーズも
いつもながらハイライトシーンです。

また、
市川染五郎の「直侍」は、文句なしにかっこよかった!
追手がかかる身であり、全身を耳にして周囲に気を配る緊張感、
そんな身の上でありながら、想い人のところへ急ぐ男の恋心。
染五郎、いい役者になったなあ、とつくづく思いました。

思いのほか、といっては失礼ですが、非常に感動したのが
「二条城の清正」でした。
徳川家康に呼び出され、淀城から二条城へと向かう秀頼(松本金太郎)に
何かあってはならない、必ず無事に淀城まで守る、と
老忠臣の加藤清正(松本幸四郎)がつき従います。

妻・千姫の父親、つまり、舅と婿の関係だからこちらから来たが、
本来なら秀頼さまのほうが上である、そこを間違えるな、と
家康の家臣を気迫でけん制し続ける清正と
孫の金太郎を支える祖父としての幸四郎とが二重写しとなって、
ますます感動的でした。

金太郎の幼な顔に役者魂!がこもるようになり、堂々たる出来栄え。
威厳もあるが自らの立場の危うさにも気づいている秀頼の
聡明さと品格とぜい弱さをたたえ、
船のへさきに立って淀城をまっすぐに見る背中に悲運が漂いました。

今月の国立劇場では、高麗屋の座組で「東海道四谷怪談」がかかっています。
座頭の松本幸四郎が民谷伊右衛門で、
市川染五郎がお岩初役、与茂七、小仏小平も含め三役早変わりがみどころです。
18日に観てきましたが、まずは染五郎のお岩が非常に美しかった。
顔の崩れ方もかなりグロテスクなのですが、それでもお岩の清楚さ、美しさが滲み出て、
命が尽きようとしている病み加減といい、幽霊となってからの凄絶さといい、哀れさが募りました。
先月の歌舞伎座「紅葉狩」の更科姫が素晴らしかったのですが、今回も、女方、魅力的です。

もう一つ、異色なのは通常割愛されることの多い「小汐田又之丞隠れ家」の段が出ること。
民谷伊右衛門も、お岩の父親の四谷左門も、佐藤与茂七も、
与茂七と間違えて殺されてしまう奥田庄三郎も、小汐田又之丞も皆赤穂の浪人で、
「仮名手本忠臣蔵」と密接な関係にある「四谷怪談」の側面にいつもより光を当てています。

染五郎は冒頭に鶴屋南北として登場、「仮名手本忠臣蔵」と「四谷怪談」との関係を説明し、
寸劇ながら松の廊下の塩冶判官と師直も演じますし、最後の討入り場面では大星由良之助を演じます。
お岩、与茂七、小仏小平だけにとどまらず、まさに八面六臂の大活躍!

小汐田又之丞に仕える小仏小平、いつもはちょっとしか出番がなく、
単なる「早変わり」のコマの一つにしか思えないんですが、
彼がなぜ盗みをはたらくほど薬に執着し、死んでも幽霊になって「薬くだせえ」と叫ぶのかが、
今回はよくわかります。

江戸の昔、初演時は忠臣蔵と四谷怪談を表・裏という形で交互に上演、二日がかりで全段を見せたといいます。
今回はそこまではやらないまでも、二作の絡まり合いを肌で感じることができました。
(又之丞隠れ家で繰り広げられる又之丞とお熊のイケズは、塩冶判官にイジワルをする高師直そのまま!
 又之丞は縞の掻巻を着ていて、盗みの疑いをかけられて源蔵が立ち去ろうとするところなど、与市兵衛内の勘平の切腹のくだりを踏襲)

季節の移り変わりも松の廊下が三月弥生、お岩が出産して産後の肥立ちが悪いのは蚊帳をつっている夏、そこから寒い季節になって討入りが来月に迫ったことがわかる。
庵室の伊右衛門が「お岩の祥月命日」に悪い夢を見たといって弔おうとし、お岩の幽霊にまた悩まされるのは雪の日で、そこから一気に討入りへ。
「仮名手本忠臣蔵」と同じように、松の廊下から討入りまで、
赤穂の武士たちが浪人になっている時間の中で考えられたストーリーなのだと改めて理解しました。
こんなふうに「四谷怪談」を観たことはなかったなー。

出演者は最後の討入りで浪士や吉良側の武士も演じて立ち廻りはハデハデです。
特に中村隼人は「ワンピース」のイナズマンに続き、今回も切れっきれな殺陣で見せる。
お梅役の中村米吉は、スターオーラがハンパなく、いつもなら単なる脇役なのに、
今回はお梅の心情に引き寄せられてしまいました。
四谷左門役の松本錦弥が老いても落ちぶれても武士の魂を見せつける凛々しさでたまらん!

それに比べて伊右衛門の小者さ加減といったら!
幸四郎丈の伊右衛門は、ものすごいワルという印象ではなく、刹那的な生き方をしている男という感じでした。
舅を追いかけてまで取り返したかった懐妊中のお岩なのに、いざ子どもが生まれると疎んじる、とか、
そこまで嫌いなら最初から別れてろ、とかいいたい伊右衛門ですが、
幸四郎がやると、あのときはお岩が好きだった、でも金もない、赤ん坊は泣く、妻は病気じゃもういやになる、
そこへ持参金つき仕官つきの若くてかわいいお梅との結婚話とくれば、そっちになびく、みたいな。
その場しのぎで後先考えない。
さっきまで「御家の秘薬」とか大切にしていた薬もすぐに借金のカタに渡しちゃうし、
母親のお熊に「大事にしなさい」と言われた高師直のお墨付きも同じ。
「カネがないからこれで」みたいにして仲間の路銀の足しにと渡しちゃう。
都合が悪くなるとすぐに人を殺すし、幽霊がこわくなってそこらじゅう刀振り回すし。
そういう、アタマ悪いよね、けっこう臆病だよねっていうところに説得力ありました。
女好きだけど結局誰のことも愛してない、自分しか好きになれない男、
いやもしかしたら、自分のことも親のことも、この世も嫌いなのかもっていう、哀れな男に見えました。

二回の休憩はさんで約5時間と長丁場ですが、最後が討入りでスカッとすることもあり、
あまり長くは感じませんでした。
長唄もすばらしく、それも舞台をひきしめていたと思います。

詳しくはこちらへ。26日までです。

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