今月は「新薄雪物語」が、昼夜に分けて通しで上演されています。
今回、この公演で何がすごいって、
尾上菊五郎、松本幸四郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、と
それぞれ音羽屋、高麗屋、播磨屋、松嶋屋と
それぞれのトップが同じ舞台で共演することです。

「それってそんなにすごいことなの?」…と思われるかもしれません。

歌舞伎公演というのは、
基本的に座頭(ざがしら)が主役と演出を兼ねる興行ですので、
音羽屋であれば菊五郎が主役、
高麗屋であれば幸四郎が主役、・・・というふうにして、
一門傘下の役者が脇を固めるというのが通常の興行となります。

もちろん、そこにほかの一門の人も出演しますが、
それは「ゲスト出演」的な位置づけになります。

これに対し、
たくさんの「座頭」級の人が一堂に会する興行を
「顔見世(かおみせ)」といいます。
「オールスターキャスト」という意味ですね。

それぞれが常に主役を張る役者で、一門を背負っての登場ですから、
役を振るのは大変。
そのため「顔見世興行」と銘打っても、
演目ごとにそれぞれが主役を務め
一つの演目で一緒に登場することを避けることさえあります。

だから今回昼の「詮議」のように、
菊五郎、幸四郎、仁左衛門が同じ演目の同じ場面に登場して、
それぞれが持ち味と実力を発揮し、
場のエネルギーを高め合っていくのを見られるのは、
本当にうれしい限りです。

地位もあり、賢明な二人の武士が、
政敵によって無実の罪を着せられ、
謀反の疑いをかけられたとわかったその瞬間に
「これはもう逃げられない!」と覚悟する。

幸崎伊賀守(幸四郎)と園部兵衛(仁左衛門)の
その瞬間の表情をぜひ見逃さないでください。

「いいがかり」のもとを与えてしまったそれぞれの娘と息子が、
「ちがう、それはちがう!」と必死で無実を言い立てて、
騒いだり嘆いたりと取り乱すのと対照的です。

へびににらまれたカエルは、のみこまれるだけ。

二人は知っているのです。
長年の務めの中で、
政局がらみの陰謀で追い落とされた人々を
いくらでも見てきたはずですから。
きっとこれまで、ちょっとした軽口を言質にとられぬよう、
細心の注意をはかって生き延びてきたことでしょう。
そうやって、
欲望と陰謀がうずまく政治の世界で
自らの信念をできるだけ曲げぬよう努めてきたのに・・・。

二人はそれぞれ、ほぼ同時に、
「ああ!」とすべてを見通すのでした。

そして、無言のうちに頭の中はフル回転。
こうなってしまった以上、
自分たちはこの後どうすればよいか、
子どもは、妻は、家は、そして相手は???

分別あり、良心あり、思いやりあり、信念あり。
この二人が何を考え、いかに身を処し、愛する者をいかに守るのか、
それが、「広間」「合腹」へと続き、明らかになるのです。

また、
この両家に対し裁断を下す立場になった葛城民部が菊五郎。
民部もまた、
誰が陰謀の主かに気づきながらも、
証拠のないことを言いたてることがいかに危険かを熟知していますから、
今自分が「裁断」できる立場であることを最大に生かし、
無実の両家にとって今考えられるもっともよい方法を考え出します。
「公平」な態度を崩さない中で、
「威厳」をもって悪に引きずられぬよう場を制する。
民部の包容力が輝いていました。

世の裁判官は、この場面を10回くらい見て、
正義とは何か、自分の役割は何か、必死で考えてほしいと思います。

この場面、
ただ一人「悪役」として出てくるのが秋月大学役の坂東彦三郎。
大きいです。
大学は「悪の親分」である秋月大膳の息子なので、
最後は民部に言い負けてしまう程度の悪ではあるのですが、
それにしても彼が小物すぎると、話の深刻さが出てこない。
いいもん3人に対し悪者1人でありながら、
すばらしいバランスで場を形成してくれました。

それは
4人が4人とも、
「座っているだけで」力があったということです。
目をつぶり、じっとしている。
でも、ちょっとした表情の変化がある。
ほとんど「筋肉の緩み」と「戻り」だけなのに、そこに感情がうまれる。

バレエでも、
プリマは立っているだけでプリマでなければならないと言います。
まさにそんな感じですね。
たたずまいが、すでにお役を表しているのです。

その上で、ここぞというセリフは、
呟くような小声から劇場をとどろかす大声まで、自在。
「表向き」のコトバと、
そこに込められた「本当の心情」とが、同時に響いてくる。
至芸です。

この場で「いいもん」の1人・園部兵衛を演じた仁左衛門は、
その前の「花見」の場面では
大悪人の秋月大学を演じています。
その「花見」で薄雪姫を演じたのは中村梅枝ですが、
「詮議」では中村児太郎、続く「合腹」では中村米吉。

途中で役者が変わる役、変わらない役、いろいろあって、
初めて歌舞伎をご覧になる方は戸惑われるかもしれません。
でも、
仁左衛門が悪役のときは悪役の顔を、
いいもんのときはいいもんの顔をしているのを見れば、

役者が同じだろうが別だろうが、そんなことは関係ない、
その「役」になりきった「役者」がいる、
それだけで、芝居は楽しめるんだということを
きっと納得していただけると思います。

薄雪三人娘については、また明日!

とにかく「詮議」「合腹」は必見です。
昼と夜に別れているので、どちらか一方のチケットしか持っていない方、
どちらかしか行けないという方、
可能であれば、行けないほうも、幕見されることをおすすめします。