仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:中村米吉

「粋な黒塀/見越しの松に/仇な姿の洗い髪/死んだ筈だよお富さん」
―春日八郎の大ヒット歌謡曲「お富さん」(
1954)は、
この歌舞伎「与話情浮名横櫛~源氏店」を描写したものです。
軽快なリズムで明るい旋律の曲ですが、
実際の話はとても切ない恋の物語。
密会現場を押さえられ、男はメッタ刺しにされ女は海に身を投げ、
2人は互いに消息を知らぬまま数年を過ごします。
偶然会えたたとき、
「死んだはず」の女は、ほかの男の囲い者として生きていたのです。
今回放送される舞台は今年の新春浅草歌舞伎公演で、
与三郎は尾上松也、お富は中村米吉。
「しがねえ恋の情が仇、~」から始まる七五調の名調子は、
やり方を間違えると無感情で型どおりのお芝居に終わってしまいますが、
若い二人のセイシュンの輝きが、
やさぐれた大人の色恋を、新鮮な純愛物語に昇華させてくれています。
詳しくはこちら→ 

今年の新春浅草歌舞伎で、私が最も驚いたのは、
「毛抜」に出ていた坂東巳之助の粂弾正です。
巳之助が荒事を好んでいることは知っていましたが、
あのほっそりとした体で、
ここまで大きい演技ができるとは思っていませんでした。
「毛抜」の弾正は、発声からおおらかさから、
まるで亡くなった團十郎の弾正を観ているようでした。

ということで、後から見た昼の部の「三人吉三」、
大変期待したんですが、こちらはこなれていませんでしたね。
隼人のお嬢吉三とリズムがまったく合わなかった。
こうしてみると、
シネマ歌舞伎になった松也と七之助のお坊お嬢は抜群だったと
改めて感じました。

その松也、
「義経千本桜」で愛らしい子ギツネの狐忠信と、荒武者佐藤忠信をきっちり分けて好演。
「与話情浮名横櫛」でも与三郎を見事に演じ切りました。
松也が群を抜いているのは口跡の良さ。
セリフがはっきり聞こえる。言葉だけでなく、そこにまつわる感情も一緒に。
だから登場人物の気持ちが小細工しなくてもしっかり伝わってくるのです。
お富と与三郎の再会には、ただれた空気が漂うものだけれど、
今回の松也の与三郎と米吉のお富には、「会いたかった!」が溢れていて、
どんなに悪態をついてもその裏に愛情が見えてすがすがしくさえあった。
だから、いつもはご都合主義にしか思えないあっというまの幕切れも、
今回は「若者よ、よかったね!」と心から拍手できました。

女方では米吉もいいけど、
静御前を凛とした品格で演じ切った新悟にも一票入れたいです。

大阪松竹座夜の部は、「絵本合法衢(えほんがっぽうつじ)」の通しです。
なかなか上演されない演目で、
平成4年に孝夫時代の仁左衛門で上演された後、
平成23年3月に国立劇場でかかったのですが、
あの3.11、東日本大震災のために途中で中止となりました。
私もチケットを払い戻しています。
翌24年に仕切り直しでもう一度公演、ようやく観られました。

そのときは、
筋を追うのがとても大変でした。
仁左衛門が「左枝大学之助」と「太平次」の二役をやるんですが、
なんでこの二役をいっしょにやるのかもストンと腑に落ちていなかったし、
頭のなかに「なぜ」がいつもあって、
演目を楽しめるところまでいっていなかったというのが本当のところです。
唯一印象的だったのは、
「大和の倉狩峠」=「奈良の暗峠」にぽつんとある家での場面。
太平次の女房お道が、最後に夫の悪事に見切りをつけて裏切るところでした。

それに比べて、
今回はなんと「悪の華」を楽しめたことか!
自分の心持の違いでしょうか。
今回は仁左衛門丈が監修しています。

まず第一幕第一場、
燈籠の陰から笠をかぶった武士が出てきたその瞬間、
あ、これが大学之助だ、悪いヤツの親玉だ!とわかる、その大きさ!

先月の「新薄雪物語」、「花見」の場でも、
仁左衛門は秋月大学という悪者の役で、笠をかぶって出てきます。
そのときより、さらにダークな空気を身にまとっていた感あり。

この大学、敵だけでなく味方までも、
用済みだったり気に入らなかったりするとバッサバッサと斬りまくる。
文字通り、問答無用。
生殺与奪、オレが決める!の悪の権化です。

その大きさに比べ、
太平治は本当にこすっからいヤツで、
仁左衛門はその太平次を、背中を丸め、首をすくめ、軽い調子で演じる。
反りかえり、肘を張って大きさを見せる大学之助とは、別人です。
早口で、ときにコメディタッチに、ときに色っぽく。
「ワルだね~」とこちらもニヤっとしてしまう、ちょっと憎めないヤツ。
と思いきや、
殺し場では容赦ない。背筋が寒くなります。

とりわけ倉狩峠で
お米(中村米吉)と孫七(中村隼人)を串刺しにするところ!

太平次の留守中、
味方と思っていた太平次が敵方の人間と知った二人と
戻ってきた太平次との息を呑むやりとり。
太平次の殺気がものすごい。
手に汗握る緊張感です。
そして、最後は串刺し。スローモーションで反り返り崩れていく美男美女と
仁王立ちの殺人者の構図は、
一枚の錦絵として妖しく、美しく、圧倒的なパワーを放つ。

米吉の断末魔の叫び声と、
白塗りの顔にほつれ髪がかかる隼人の死に顔の美しさは絶品で、
いつまでも、目に、耳に、残ります。

一度観たはずなんですが、
最後はいったいどうなったか、
悪の権化、大学之助は因果応報で誅伐されるのか????

・・・ここがミソ!

確かに大学之助、一太刀浴びたことは浴びたのですが、
最後の最後まで見せずに、
「本日は、これ~ぎ~り~」の切口上で、強制終了!

だから歌舞伎は面白い、のでありました!

この通しでは、一幕から三幕まで、仁左衛門出ずっぱりです。
体力的に、かなり大変ですので、
この先何回できることか。
ご覧になれる方は、ぜひ今月、松竹座へお越しください。
「悪」なのに、「カッコいい」。

この公演中に、片岡仁左衛門は人間国宝に認定されました。
歌舞伎の真骨頂を、お楽しみくださいませ。

昨日は一人の役者が複数の人物を演じている、という話をしました。

仁左衛門は「花見」で秋月大学、「詮議」「広間・合腹」で園部兵衛、
菊五郎は「花見」が奴妻平で「詮議」は葛城民部です。

逆に薄雪姫の役は、3人が務めます。
「花見」が中村梅枝、「詮議」が中村児太郎、
「広間・合腹」と「正宗内」が中村米吉です。

お寺参詣で左衛門に一目惚れしてしまった薄雪姫は、
文を渡したり、屋敷に忍んできてと頼んだり、
お姫様ながら積極的です。
その「積極的」な気持ちと、
だからこそ大好きな人と家族を窮地に立たせてしまった申し訳なさと、
ああ、こんなイノセントなお姫さまがズンズンアタックしてきたら、
オトコ、ひとたまりもないなー、っていう説得力が
すべて揃っていたのは米吉だったと思います。

梅枝はお姫様らしくはありましたが、
肝心の付け文のあたりがちょっと弱かった。
そんなに好きなの?っていうところが伝わってきませんでした。

児太郎も、
自分の書いた付け文にある「刀」の絵の下に「心」で「忍ぶ」の判じ物が
献上の刀にやすりを入れての調伏をするという謀反の証拠にされている、
とわかったときの驚きや怖ろしさが見えませんでした。

米吉は
「正式な嫁でもないのにこんなにやさしくしてもらって心苦しい」
「ああ、全部私が悪いのにごめんなさいごめんなさい」の気持ちが
さして見せ場があるわけではないのに全身から発せられるのがわかりました。
それでいて、
「やっぱり一人じゃ逃げたくない、あの人と一緒がいい」っていうワガママ娘で、
そういう愚かなところがあるからこそ、
「忍んできてね」と言っちゃったんだろう、と納得してしまいました。

米吉なら「花見」や「詮議」の薄雪姫をどう演じたか、
他の二人には気の毒ですが、見てみたいと思いました。

「鳴神」も、「矢の根」と同じく歌舞伎十八番の1つです。
ですので、お上人のお話ですが、最後は「ぶっかえり」といって、
衣装がぱっと変わり、不動明王のような顔つきになります。
(衣装の早変わりに関しては、歌舞伎や日本舞踊の舞台では歴史があります。
最近のファッションショーなどで、同じような手法が取り入れられていました。)

ただ、
「矢の根」と違って、こちらはストーリーがある。
竜神を封印している鳴神上人が、
自分を籠絡して封印を解けと命じられて派遣された
雲絶間姫(くものたえまひめ)の色香に惑わされてしまうというもの。

見どころは
具合の悪くなった美女を介抱するため、
坊さんが女性の着物の袷から手を入れて
『ここか?ここか?』と胸などを揉みまくるところ
、です。

エロです。

その上、この美女、
「坊さんをオトして来い!」と命令されている女スパイ!


歌舞伎、荒事、坊さん、エロ。

歌舞伎とは「かぶく」こと。
建て前や常識なんか、クソくらえ!
坊さんだって女や酒には弱いだろ。それが人間でしょ。
「おい坊主、抹香臭い顔してオレに説教するな!」っていう
庶民の日ごろの気持ちの代弁です。
アナーキーで、艶笑談。
人気が出るはずです。

ただ、
単なる「庶民のうっぷん晴らしとして偉い人を揶揄する」だけには終わりません。
お上人様、
これまでは本当に真面目だったんです。
そんなお上人様が、酒と女淫に迷い始め、
ついには煩悩とともに生きる世俗を選び
「破戒だ破戒だ!」と叫ぶ、
そこに
「坊さんといっても人間」と共感させるカタルシスがあります。

そこが私は好きなのです、が…。

雲絶間姫の中村米吉は、美しいし堂々としていますが、
正直、エロすぎではないかと思いました。
上人の弟子2人に亡き夫との昔話をしながら、
「川を渡った時に裾をからげ・・・」みたいにスネを見せたりします。
そこが、最初から流し目チックっていうか、
「それそれ、裾あげますよ~、見せますからね~!」みたいに誘っていて、
お姫様というより、お姫様に化けた遊女みたいになってしまっていた。
ラスト近く、
「(上人を誘惑したのは)本心じゃなく、勅命だ(天皇に命令された)から許して」と謝るところ、
ここに説得力がなくなってしまっているのです。
前半はもうちょっとお上品にされたほうがよいかと思いました。
たしかに「わざと誘惑」に来てはいるんだけど、
世の中の悦楽を遮断して修行している坊さんたちにとって、
美女はそこにいるだけでまぶしいわけで、
そんな色目なんか使わなくても十分フラフラなはずでしょ。

女性にもあるじゃないですか。
若いイケメンがふいに上半身裸になっちゃうと、
別に他意もなければ「誘われている」わけでないのに、
なんかドキドキしてまぶしくて、目のやり場に困るような・・・
あんなサワヤカ系の「図らずも」のお色気がベースにあって、
プラスちょこっと「わざと」が欲しいところです。

松也の鳴神上人も同じことで、
高僧としての器が感じられませんでした。
姫が来る前から煩悩ありまくりの、
あるいは、煩悩を断ち切るために仏門に入ったばかり、みたいな
「いまだ悟らず」な状態に見えてしまった。

鳴神上人は、
朝廷が約束を破ったことに立腹して竜神を封じ込め、
世界中を日照りにしてしまうほどの力があります。
人間でありながら、すでに霊的な存在。

弟子たちを相手に姫がする物語を
聞くともなしに聞くうちにどんどん引き込まれていくところも、
最初は本当に「介抱しなきゃと思い」胸をさすり始めたところも、
ちょっとお籠りしていたふつうの男ではなく、
「あの膨らみは一体何?」「女性ってどんなものだったっけ」っていうくらい、
世俗と断絶した存在として、
それこそ「邪気のない」感じを大きく出してほしかった。

そうでなくては、
「手が何かにさわった」というくだりが
家庭教師相手の「青い体験」並みにしか見えない。

最後ぶっかえって六方踏んで、花道を駆けるところも、
「だましたなー!」の相手が姫であって、
朝廷という大きい相手、ひいては日本全体をゆるがそうという
恐ろしさには欠けました。

バレエなどでもそうですが、
「そこに存在するだけで場を支配するオーラ」というものは
そうすぐに獲得できるものではありません。
何事も、最初は小さい一歩から。
次回に期待です。

三月花形歌舞伎について、詳細はこちらをどうぞ。

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