仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:中村歌六

遅ればせながらのレビューですみません。
どうしても書いておきたかったので。

七月、大阪松竹座に行ってきました。
もっとも感激したのは
片岡仁左衛門&中村雀右衛門の「鳥辺山心中」
仁左衛門が雀右衛門の肩に手を回す、その手にやさしさと色気が溢れて胸が痛くなるほど!
私は筋書(プログラム)はいつも買うけど、舞台写真は原則買わないのですが、
今回はどうしてもほしくて、でもタイミングを逸して買うこと能わず、
その後観劇で大阪に行く人に1人頼んで間に合わず、それでもあきらめられずに
もう1人に頼んで買ってきてもらった、という、本当にうっとりするほどの舞台でした。

写真でも、その「手」を見るだけで、舞台の感激がよみがえってきます。
 

同じ松竹座夜の部
「菊畑」も素晴らしかったです。
実は兄弟なのにそしらぬ顔で主人と家来、しかして実は正体がわかっていて、
…という二転三転の腹芸がキモとなっているこの舞台、
演じる人を選びます。今回は、なかなか出ない格調の高さで緊迫感あり。
中村歌六の鬼一法眼の貫禄、梅玉の若々しい牛若丸、温かみのある橋之助の鬼三太、
孝太郎の恋する中にも気高い皆鶴姫、
最近太い役も難なくやってのけるようになった亀鶴の湛海。
言うことなし、でした。 

今月は、名古屋公演があります。
名古屋は御園座が閉まってしまいましたが、
日本特殊陶業市民会館がその穴を埋めてくれて定期的に公演が続いています。

今回は「錦秋顔見世」と題し、
中村吉右衛門率いる播磨屋を中心とした座組みによる本格的な公演。

昼の部
「あんまと泥棒(あんまとどろぼう)」
「藤娘(ふじむすめ」」
「秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)」

夜の部
「平家女護島」の「俊寛(しゅんかん)」
「太刀盗人(たちぬすびと)」
「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」から「山三浪宅」「鞘当」

「松浦の太鼓」「俊寛」は、吉右衛門丈の当たり役です。
名古屋方面の方、ぜひご覧ください。

「あんまと泥棒」は、中村歌六があんま秀の市、泥棒権太楼は中村錦之助です。
最近さらに芸に磨きがかかり、どの舞台にも欠かせない人となった歌六が
見どころと意気込みをこちらで語っています。
「藤娘」は、来年、五代目中村雀右衛門襲名が決まっている中村芝雀が可愛らしく。

「太刀盗人」は狂言をアレンジしたもので、コミカルさと舞踊の確かさが決め手。
舞踊に長けた中村又五郎、中村種之助の二人に注目です。
「浮世柄比翼稲妻」は、なんといっても「鞘当(さやあて)」でしょう。
すれ違いざまに刀の鞘が当たった、そのことでケンカになる・・・だけのことなんですが、
それがいかに緊張感のある、そして豪華絢爛な、俳優二人を引き立てる場面になっているか。
これぞ歌舞伎、という演目を錦之助の名古屋山三(さんざ)、又五郎の不破伴左衛門で。
今回は「山三浪宅」がついて、この場面に至る状況や緊張感がよくわかります。

こうやって解説を書いていても、名古屋に飛んでいきたくなるなー。
ぜひぜひ。

2015年9月の歌舞伎座夜の部は
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の通し狂言です。

通しなので、「花水橋」「竹の間」「御殿」「床下」「対決・刃傷」と
時系列に並びます。
単独でよくかかるのは「御殿」と「床下」です。

「御殿」の前段となる「竹の間」
八汐(中村歌六)が幼い主君・鶴千代を守ろうとする乳母・政岡(坂東玉三郎)を
追い落とそうと難癖をつける場面です。
八汐は女性の役ですが、女方ではなく立役が憎々しく務めるのがならい。

わかりづらいのが、八汐とともに鶴千代を訪問する沖の井の立ち位置です。
八汐の手下なのか、違うのか、ビギナーにはなかなか判断がつきません。
今回は菊之助が沖の井の清廉潔白な人物の輪郭をくっきりと表し、
表立ってはどちらの側にもつかないけれど、八汐の言動のほころびを巧みに突き、
「間違ったことはさせない」という毅然とした態度を貫いて、この場の意味がよく理解できました。
この場で玉三郎が着用している打掛がとても美しいので、そこにも注目してください。

「御殿」では
前半に「飯炊き(ままたき)」といって、
毒を盛られぬよう自分でご飯を炊き上げるシーンがついています。
お米をとぐところから何から全部やります。
もちろん、「エア飯炊き」ですが、手順を省かないので時間がかかる。
そこがまどろっこしい、というむきもありますが、
朝から何も食べていない幼い2人がまだかまだかと炊き上がるのを待つしぐさが健気ですし、
「にぎにぎ」を食べる二人の姿は本当にほっこりします。
先日、「竹の間」→「御殿」(飯炊きなし)を見たら、子どもたちはずっと何も食べられていないようで
とても可哀そうになりました。
後半が悲劇なだけに、ここは落差を感じるためにも重要な場面なのではないかと思います。

その後半は、
乳母政岡が、主君の子である鶴千代を守ることを優先して
自分の子が殺されようとするのをみじろぎもせず見つめるところがハイライトです。
たった一人になったときにようやく母の顔に戻り、
鶴千代のために、進んで毒を食らい幼いながら毒見役をまっとうしたわが子に
「でかしゃった、でかしゃった」と声をかけながら
つらい涙を流します。
母の目の前でわざと子を殺す八汐も残酷ですが、
位も上なら悪者としても上をいく、栄御前もお上品だが食えないヤツ。
上村吉弥が能面を思わせる得体の知れぬ無表情で好演しました。

「また子どもを見殺しにする話ですか」
「それも今度は母親とは。鬼母か!」
などと一蹴するのは本当にもったいない!
ありえない仕掛けの中に現代にも通じるリアリティが溢れています。

政岡が鶴千代や千松にかける言葉には
一つひとつに母として乳母としての愛情が滲み出ていますし、
政争に巻き込まれた幼い命を守るため、必死になる様子には手に汗握ります。
前半は「〇〇夫人」が夫の権力をかさに着るみっともなさが浮き彫りになり、
溜飲が下がる場面もあり。
不条理な世間の中でいかに生きるか、
長いものに巻かれ自分を見失うまいと、必死に生きる人たちの物語は、
現代の私たちにもいろいろなことを感じさせてくれます。

女同士による勢力代理戦争である「竹の間」「御殿」に対し、
「床下」「対決・刃傷」は武士の世界が繰り広げられます。

「床下」は忍術使いがネズミになって証拠の連判状を持ち去るという、
幻想的・様式的・奇想天外な場面です。

ネズミを踏みつけて出てくる男之助(尾上松緑)は正義の味方、
そのネズミからドロンドロンと変化して正体を現す悪者が仁木弾正(中村吉右衛門)。
仁木弾正が花道を退場する場面で「宙のり」を使うバージョンもありますが、
今回は、暗闇の中、ろうそくの光が妖しくゆれる中での退場です。
吉右衛門の弾正が、息を呑むほどの存在感で、
何のセリフもなくただ花道を歩くだけなのに、圧倒されます。
あまりに大物のために気勢をそがれ、立ちすくんでつかまえそこなう、みたいな感じが
よく出ていました。

これだけの仁木弾正の「床下」はそうそう見ることができません。
たっぷり味わうためには、1階後方花道寄りのお席がおすすめですが、
2階3階からも、
ろうそくの明かりがもたらす弾正の影が、次第次第に大きく幕に投影され
まことに効果的に仁木弾正の残像をもたらします。

「対決・刃傷」は一種の「大岡裁き」的な裁判もので、
細川勝元による公正な裁判でハッピーエンド。
市川染五郎がすっきりとした勝元を演じ、
前半は悪者の八汐だった中村歌六が、この場では頼兼サイドの重鎮・外記左衛門を務めます。

濃密にして手堅い、
非常に素晴らしい舞台なので、ぜひご覧になっていただきたいと思います。


(詳しいあらすじはこちらのサイトに出ています)

大阪の松竹座昼の部で、「ぢいさんばあさん」を幕見しました。
歌舞伎座のさよなら公演で観た片岡仁左衛門x坂東玉三郎コンビでの感動があまりに強すぎて、
そのとき以来、ほかの配役でこの演目が上演されても、
食指が動かず観劇を故意に避けてきました。

久々に片岡仁左衛門の伊織に会える!

期待いっぱいに席に着きました。

武士の夫婦としてはありえないくらい、
あけっぴろげにラブラブな二人を見るにつけ、
この二人の行く末を知っているだけに3分もたたないうちに涙腺が熱くなり・・・。

京都に単身赴任する夫・伊織に
面と向かって「私、さみしい」と言えない若妻るん(中村時蔵)が
抱っこした生まれたばかりの乳飲み子に
「お父様は遠いところにいくんですよ。さみしいけれど、二人でお留守番しましょうね」と
自分に言い聞かせるように言う場面。

それを聞いた伊織が庭に降り、
るんに背中を向けながら桜の木を抱いて、
「来年の春には満開の桜を見せてくれよ、きっと帰ってくるから」と
本当は背中を向けたるんに向けての「待っててくれよ」を口にする。

それが帰ってこれない・・・と、知ってる身の上としては
前半も前半、最初のところですでに滂沱。

ところが。

新しい発見もありました。
ラブラブな二人の関係に何かを水を差す役まわりの下嶋の人となりです。

別れを惜しむ伊織夫婦にいとまを与えまいと、
一緒に京都に赴任するのというのに、
もっと碁につきあえとせがむ下嶋(中村歌六)。
「俺なんか、うるさい女房と離れられてかえってさっぱりする」というセリフが
非常に胸にささる。
同じ境遇でありながら、夫の単身赴任をそれほど寂しがってくれない奥方との
寒々しい下嶋の家庭が目に浮かぶようです。

京都に行っても
自分から30両という大金を借りて名刀を手に入れながら、
その名刀のお披露目の宴席に自分を呼ばない伊織に
「それは筋が違うだろう」はごもっとも。
その上「お前はオレのことが嫌いなんだ」と言うと
「なーんだ、知っていたのか。実はそうなんだ」みたいに
あっさり「お前が嫌い」を告白する伊織の天然ぶり!

正直すぎるところを「かわいい」「そこがいいところ」と好かれる伊織と、
正論を言っても「しつこい」「やなやつ」と疎まれる下嶋。

今までイヤな奴だと思っていた下嶋が、
急にかわいそうになってきました。
そう、「眠りの森の美女」で王女誕生の祝宴にハブられた
魔女マレフィセントを思い出した。

仁左衛門による伊織の人物造形は、
単なる「いい人」ではありません。
「昔はヤンチャしてた短気な男だったが、美しく優しい女と出会って身を改め、
 子どもも生まれていよいよこの幸せな生活を守りたいと、
 争いごとを好まぬ男になった。
 でも、あまりにネチネチと非をあげつらわれ、思わず昔のくせが出て・・・」

「事を成し」てしまった後の伊織の目は、
江戸でるんに目㞍を下げていた伊織とは別人のように鋭く、
そして自分のやってしまったことへの後悔で漏らす
「うううううううううううう!」という叫びのならぬ叫びは、
満場に響き渡り、伊織の無念さが観客の胸に突き刺さります。

ティボルトを刺してしまったロミオのような感じですね。

後半はほのぼのとした中に、
やはり「坊は・・・」のところで感涙。
それとともに、
伊織単身赴任のもとをつくってしまったるんの弟・久右衛門(中村錦之助)が
姉夫婦が戻るまで家を守り通してきたその思いや
久右衛門の死後も父の遺言に従いそのまま家を守ってきた若い息子夫婦が
いよいよ家を明け渡すときの心情が
中村隼人と中村米吉によって鮮やかに語られます。

仮の住まいとはいえ、大切に住まってきた家を去るさびしさを吐露していた若妻が
最後に
「これから(新居で)私たち二人の本当の生活が始まるのですね」と
高らかに宣言するところが、今回はツボでした。
いつ元の家主がお帰りになってもいいようにと言い付けられ、
古い家だけどリフォームもできず、おそらくは置物の位置も変えず、
完璧な掃除を心がけた若妻のストレスとか、
もういろんなこと考えてしまいました。

ほのぼのとして、思わず顔がほころんでしまい、
そして涙が止まらない、
人の心に寄り添ったやさしい物語です。

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