仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:中村梅枝

とるものもとりあえず、
とにかくまずは絶対見てソンはない今月の歌舞伎の紹介から。


初日に行ってまいりました。

素晴らしい座組です。
初日から、完成度高いです。全部いいです。が、

特に昼の部の「葛の葉」は必見!
中村七之助、そこにいるだけで泣けてくる、くらい、人物の気持ちが乗り移っている!
二役早変わりも見事。
相手役の中村梅枝(保名)も品のある中にも感情の揺れがあって素晴らしい。

あと、夜の部の「二人椀久」の美しさといったら、もう・・・。

今回の明治座は、昼は菊之助、七之助、勘九郎がすべて初役で挑む「女殺油地獄」、
夜は勘三郎さんを彷彿とさせる勘九郎が繰り広げる楽しいお話「浮かれ心中」がメインなんですけど、
それもとってもいいんですけど、
そのほかがこれだけよいと、
もう観るしかないですよ。
私は「葛の葉」がもう一度見たくて、下旬にもう一度観ることにしました。



女方として人気・実力ともゆるぎない地位にある尾上菊之助が、
立役の主役、それも、
女方がよく兼ねる、白塗りの優男の役ではなく、
荒ぶる武士を演じるというので、
歌舞伎ファンの間では始まる前から話題沸騰していたこの公演。

菊之助は非常に丁寧に、初役の知盛を演じていました。
それは好感が持てましたし、やはり力がある、と感じましたが、
やっぱりニンではないな、とも思いました。
「ニン」というのは、
「当たり役」「その役にピッタリ」という意味です。
その人の醸し出す雰囲気と、役が求めるものとがピッタリ一致するとき、
役者は自分の持てる以上の力を発揮します。
逆に
ニンでないと、
一生懸命務めているのに、それほどのインパクトが感じられない、
そういうことがままあるものです。

わかりやすくいえば、
お姫様なのにどこか庶民っぽい匂いがするとか、
逆に、貴公子の役なのに気品がない、とか、そんな感じです。

菊之助の平知盛は「荒ぶる軍神」というよりも、「平家の貴公子」でした。
彼は、平敦盛役をやったことがありますが、
同じ平氏で、同じ源平の合戦で敗れた者でも、
敦盛は16歳、笛を吹くのが好きな紅顔の美少年であり、戦も初陣です。
こういう役は、女方を主に演じる菊之助にとってもニン。
気品といい、端正なたたずまいと言い、絶品でした。

しかし知盛は、手練れの猛者。
背中に矢を受け、額から血を流しながらも、
バッタバッタと源氏の兵を切り刻んでいきます。
これまで、と観念しながらも、
「生き変わ~り、死に変わ~り」永遠に源氏を恨み続けるぞ、と
怖ろしい形相で義経に挑みかかる男です。
最後は自分の首を誰にも渡すまいと、
重くて大きい碇を抱いて、まっさかさまに海へとダイブする男です。
負け戦だったとしても、それは時の運。
軍神としてのでっかさ、有無を言わせぬ恐ろしさには、
敵も味方も震え上がったことでしょう。

菊之助には、そのような、いわば大魔神のような恐ろしさがなかった。
でも、だからこそ、
必死で義経に安徳天皇の行く末を頼むところが、
敗戦の将として等身大の人間として浮かび上がったように思います。

彼らは身を賭して戦う。
何のために?
「玉体」を護持するために。

「玉体」とは何でしょう?

天皇のことです。
ここでは平清盛の孫である安徳天皇のために、
みんな命を落としていくのです。
そして、「平氏は負けた。が、天皇のことは引き受けた」と
安徳天皇を抱いて去る義経もまた、
すでに兄・頼朝から追われる身。
次は自分が討たれる番なのでした。

一兵士として死んでいく知盛に対し、
今や戦況が傾いていく義経は、自らの運命を予感し、
同じもののふとしての共感と憂いを瞳の内に浮かべつつ
退場していきます。
しんがりの弁慶も、
死んでいった知盛に、弔いと敬意の法螺貝を吹くのです。

千秋楽、
皇太子殿下が愛子様と一緒にご覧になりました。
平氏の知盛に守られていた安徳天皇が、
今は義経の手のあって守られている。
幼い安徳天皇はこれまで守ってくれていた知盛に「義経を恨むな」と言い、
その知盛が死ぬ覚悟であると知って「さらば」と引導を渡します。
殿下は安徳天皇の直接の子孫ではありませんが、
それでも「天皇家」という長い歴史の帯の中に生きていらっしゃる以上、
まったく無関係にご覧にはなれないのではないでしょうか。

天皇だけではありません。
歌舞伎には、「統べる者、上に立つ者」はいかにあるべきか、
いかにあってほしいと庶民は思っているのかが切実に描かれています。

自分を守るために、自分の兵が命を落としていく、
兵だけではない、乳母や官女も次々と。

安徳天皇の覚悟の御製を聞いて官女たちが
一人、また一人と覚悟の入水する様は、
グアム島のバンザイクリフのようでもあり、
沖縄のそれのようでもありました。

70年間戦争のなかったことを手放しでは喜べず、
「平和ボケ」などとおっしゃる方もいるようですが、
本当に血を流さなくても、戦争の辛さ、哀れさ、虚しさを感じられるのが、
エンターテインメントのよさです。

今回、中村梅枝がお柳(実は)典侍(すけ)の局を演じましたが、
梅枝の典侍の局には威厳があって、
銀平(実は知盛)の妻・お柳の場面に比べ、
典侍の局になった途端、知盛よりも身分の高い女官であることが見てとれて、
非常に素晴らしかったと思います。

一座皆、よく通る声でセリフを理解しやすく、
小さいお子さんも物語にぐっと惹きつけられ集中して観ていました。

勇猛果敢な武士・知盛の潔さを描いた作品ですが、
いばりちらしてすぐに武力に頼ろうとする不埒な武士に対しては、
多くの合戦で名を上げた知盛が
「武(さむらい)という時は戈(ほこ)を止(とど)めると書きます」と
武士の役目は戦を起こさないこと、いたずらに刀を抜きません、と
と諭す場面もあります。

戦後70年となる今年の夏、
一ヶ月にわたり、たくさんの日本人が初めて「碇知盛」を観た。
そのことが、きっと日本の力になると、私は信じています。

昨日は一人の役者が複数の人物を演じている、という話をしました。

仁左衛門は「花見」で秋月大学、「詮議」「広間・合腹」で園部兵衛、
菊五郎は「花見」が奴妻平で「詮議」は葛城民部です。

逆に薄雪姫の役は、3人が務めます。
「花見」が中村梅枝、「詮議」が中村児太郎、
「広間・合腹」と「正宗内」が中村米吉です。

お寺参詣で左衛門に一目惚れしてしまった薄雪姫は、
文を渡したり、屋敷に忍んできてと頼んだり、
お姫様ながら積極的です。
その「積極的」な気持ちと、
だからこそ大好きな人と家族を窮地に立たせてしまった申し訳なさと、
ああ、こんなイノセントなお姫さまがズンズンアタックしてきたら、
オトコ、ひとたまりもないなー、っていう説得力が
すべて揃っていたのは米吉だったと思います。

梅枝はお姫様らしくはありましたが、
肝心の付け文のあたりがちょっと弱かった。
そんなに好きなの?っていうところが伝わってきませんでした。

児太郎も、
自分の書いた付け文にある「刀」の絵の下に「心」で「忍ぶ」の判じ物が
献上の刀にやすりを入れての調伏をするという謀反の証拠にされている、
とわかったときの驚きや怖ろしさが見えませんでした。

米吉は
「正式な嫁でもないのにこんなにやさしくしてもらって心苦しい」
「ああ、全部私が悪いのにごめんなさいごめんなさい」の気持ちが
さして見せ場があるわけではないのに全身から発せられるのがわかりました。
それでいて、
「やっぱり一人じゃ逃げたくない、あの人と一緒がいい」っていうワガママ娘で、
そういう愚かなところがあるからこそ、
「忍んできてね」と言っちゃったんだろう、と納得してしまいました。

米吉なら「花見」や「詮議」の薄雪姫をどう演じたか、
他の二人には気の毒ですが、見てみたいと思いました。

今月の歌舞伎座は團菊祭。

成田屋(市川十郎家)と音羽屋(尾上五郎家)が中心になっての座組みです。

私が楽しみにしているのは昼の部の「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうつじ)」
菊之助が演じる玉手御前は絶品です。

同じく昼の部、「天一坊大岡政談」の通し狂言も楽しそう。
天一坊が菊之助、
その天一坊が偽物であることを暴く大岡越前守が菊五郎です。

夜の部は、
成田屋歌舞伎十八番の一つ「蛇柳」を市川海老蔵主演で。
二年前、自主公演で復活させたこの演目を、本興行では初めて上演します。

「め組の喧嘩」では、菊五郎親分の江戸っ子ぶりをご堪能ください。

「慶安太平記」
は、松緑、菊之助、梅枝、3人とも初役。仕上がりが期待されます。

くわしくはこちらをどうぞ。

明治座も、
市川猿之助と片岡愛之助が主演で、人気沸騰です。

昼の部は、
市川右近の「矢の根」から。
先月の中日劇場で、非常に評価が高かった舞台で、
名古屋まで行けなかった私としては、東京で見られる幸せを感じています。

同じく昼の部の「男の花道」は、
長谷川一夫主演の映画を後に舞台化したもの。
歌舞伎役者をめぐるお話です。
猿之助は先月の中日劇場では「雪之丞変化」、明治座で「男の花道」と
敢えて古典中の古典でない、どちらかというと大衆的な商業演劇を選びました。
「古典には守る人がいるが、こういうものにはいない」と猿之助。
次世代につなげることの大切さを、彼は非常に重く受け止めています。

夜の部は、
猿之助の「あんま泥棒」と愛之助の「鯉つかみ」
本水を使う「鯉つかみ」は楽しい演目で、ビギナーにはうってつけです。

猿之助はお客様にわかりやすく、楽しんでもらうことをとても大切にしていますし、
明治座はロビーの売店なども充実していますから、
一度おでかけになってはいかがでしょうか。

詳しくはこちらをどうぞ。

ほかに京都南座で歌舞伎教室もあります。
こちらは14日までなので、ご注意ください。

詳しくはこちらをどうぞ。

「菅原伝授手習鑑」昼の部の「筆法伝授」は、
菅原道真が政敵・藤原時平(「しへい」と読む)によって陥れられ、
道真自身は大宰府に流される途中での暗殺されそうになり、
家族も命を狙われる、という流れの中で起きるお話です。

学者出身で清廉潔白、追い落としの糸口がなかなか見つからない道真に
降ってわいた「菅公養女、親王と駆け落ち!」の大スキャンダル!

時平派はここぞとばかり
「菅公はあんな善人ぶってますが、娘を親王の嫁にして親王を帝位につけ、
自分が朝廷を支配するつもりですぞ」と讒訴します。

「大臣の菅原道真、冤罪で逮捕、護送中に暗殺する計画が進行! 
 内部に裏切り者も発生。家族にも命の危険が!
 菅原氏は暗殺を免れるのか?
 そのとき、忠臣ドライバー・梅王丸は? 解雇された源蔵は?」
…みたいな
今で言うと、永田町近辺を舞台にした社会派サスペンス&アクション、
WOWOWのドラマWとかになりそうな話です。

ところが、その緊迫感を外に据えた上で、
「筆法伝授」は最終場面まで、非常に動きの少ないお話。
どちらかというと、けっこう地味めです。

でも、
人間の心理がとても正直に描かれていて、
何度見ても感動するし、
ラストに至る筋の運びにはいつも感心します。

あまり上演されない場面ですが、
人気の「寺子屋」の前段として、あらすじは押さえておきたいところ。
少し詳しくご紹介しますね。

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外で渦巻く陰謀の嵐から隔絶されたかのように、
菅原道真の邸宅では平安王朝的なゆったりとした時間が流れています。

政治家としてではなく、
書の達人としての菅原道真(片岡仁左衛門)が
奥義を継承する者を選ぼうとしているのです。
そうした夫の心の平安を乱すまいと、
妻・園生の前(中村魁春)は、娘の失態をまだ夫に知らせていません。

そこへ、
かつての一番弟子・武部源蔵(市川染五郎)が
久方ぶりに菅原邸を訪れます。

武部源蔵は、道真の愛弟子だったのですが、
ご法度の社内恋愛をしたため、
破門されてしまいました。

元主人に呼び戻された源蔵が、
ようやく破門が解かれるかと喜びいさんで妻の戸浪(中村梅枝)とともに駆けつけます。

これをよく思わないのが、先輩で現在の一番弟子・稀世(まれよ)(市村橘太郎)。
何かと難くせつけて、
どうにか源蔵を遠ざけようと必死になります。
(稀世は、俗物だけどパタリロ的外見で憎めないキャラ。
あまり動きのない場面の多い中、稀世のコミカルさが救いともなります。

破門され、辛苦を舐める生活をしながらも、源蔵の筆は健在でした。
腕を認められてついに「筆法伝授」!
後継者としてお墨付きをもらえることに。
ところが、
破門は依然解かれないという不可解な目に遭います。

「伝授は伝授、破門は破門」
道真さん、カタすぎ。

そうなんです、
この「カタすぎ」こそが、すべてのキモだ、と私は思います。

日本人は、清廉潔白が好きですよね。
法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。


道真さんは、その権化みたいな人です。

でも、
普通の人って、もっとウェットでしょ?

「俺とお前の仲」だったら、ちょっと手心加えてほしいこと、ありますよね?
見逃してもらいたいことも、ありますよね。

道真の奥さんの園生の前は、
「ほんとは一晩くらい泊めてあげたいんだけど、主人が・・・」と
自分ではどうにもならないことを詫びつつ、
「一目ご主人に会いたい」という戸浪の気持ちを汲んで、
自分の打掛の中に戸浪を隠して会わせようとします。

これが「情」ってもんでしょ。
でも、道真さんは、ガンとして会わない。
戸浪と、目も合わせようとしない。
戸浪、源蔵にまで八つ当たり。
「あなたはいいわよ、筆法伝授されたし、直接声もかけてもらったじゃない。
 私なんか、お顔をちょっと見ることさえできないのよ!」

源蔵は源蔵で必死です。
筆法伝授なんか、稀世でも誰でも他の人に譲っていいから、
何とか破門のほうを解いてくれ、と頼みます。

もともと源蔵、
同じ職場で働く戸浪を本気で好きになっただけ。
御主人を愛し、御主人にまじめに仕えていたんです。
でも、
戸浪を愛しちゃった。そのことだけで「破門」です。
法を破ったことは悪いけど、
その戸浪と、ちゃんと結婚してるんだし。
職場の女性かたっぱしから恋愛してたわけじゃないし。

―僕もけっこう苦労したんです。罰は受けました。
  だから、もう許してくれてもいいんじゃないですか?

必死で訴えるも、道真は聞き入れず、取りつく島もありません。
「早く帰れ」と言い置いて、御所に参内してしまいます。

辛いですよね。
どうして自分の愛情を、忠心を、わかってくれないのか。

でも、道真が「情に流されないくらい清い心」の持ち主だからこそ、
源蔵は、戸浪は、この人を主人とあがめて心から慕うわけです。

だから、
道真を演じるときは、
一方で感情を表に出さず、一切の隙や弱みを見せず、
誰にも指差されないよう困ってしまうほど律儀なのに、
奥底には人間の心の機微を見抜く洞察力と、
身分やら身なりやらにとらわれずに公平に慈愛を施す優しさを
持ち合わせていなくてはなりません。
それを、ほとんど何もしゃべらない中、居ずまいと少ない科白の中で表すのです。

今、その役ができるのは、片岡仁左衛門しかいません。
舞台が始まると精進潔斎、肉は一切食べないというくらい、この役に打ち込む仁左衛門。
まさに「神」!
こんなに融通の利かない場面を見せつけられながら、
それでも随所に「源蔵への愛」が感じられる。すごいです!

さて、
参内した御所で、道真は流罪を言い渡されます。
流罪先が決まるまでは、自宅に押しこめと決まり、戻される。
行きは輝くばかりの正装、
帰りは罪人としてすべてをはく奪され縛られての帰宅です。

冤罪であるけれど、道真は逃げたり反抗したりしません。
「勅諚は勅諚」、つまり
自分は何も悪いことはしていないけれど、
天皇のいうことは絶対であるから、という姿勢で全てを受け入れます。

法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。
きっといつか、真実がわかるときがくるから。

警備の者に乱暴しようとする家来の梅王丸には
「抗ったら七生までも縁を切る」といって、制します。

おとなしく自宅へ押しこめられた道真。
事態を聞きつけ、
源蔵が警備の者がいる門前に戻ってきます。

「手出しをしたら、道真公の罪が重くなるぞ!」と言われると、
「私は破門されている、もう主人でも家来でもない!
 だから私が何かしても自分だけの責任だ!」と
道真に何の関係もないことを高らかに宣言して警備の者を斬り捨てます。

「伝授は伝授、破門は破門」で苦しんだ源蔵が、
その言葉を逆手にとってご奉公しようというのです。

そして、梅王丸の協力を得、
道真の屋敷から密かに道真の幼い息子・菅秀才(かん・しゅうさい)を連れ出し、
夫婦でかくまうことを決意するのでした。

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この「筆法伝授」を見てから「寺子屋」(今回は夜の部のラスト)を見ると、
自分の隠れ家を見つけられ、
「菅秀才の首をとってこい」と言われることで、
どんなに切羽詰まっているか、肌で感じ取れます。

もう、人を一人、それもいわば警察官を、殺しているんですから。


・・・それにしても、
実際の菅原道真、悲運の死を遂げてからがすごい。

すべてをはく奪されて大宰府に流されて、そこで不遇のうちに死ぬわけですが、
亡くなって20年の間に
元の右大臣に戻され改めて正一位贈られて、
さらに左大臣になって、太政大臣の位までなって。(すべて死後ですよ、念のため)
それでもおさまらず神様にされて、天満宮が作られて、
40年後には一條天皇が「天皇が敬うべき神社」の一つとして指定した。

日本中に事件事故が多発して、それが全部、道真の怨念だと思われたんでしょうね。

ほんとに祟りとしか思えないほど不幸や天変地異が続けざまに起き、
そして何をどうしても、そうした不幸が収まらなかったんですねー。

彼の歌の中に
「海ならず たたへる水の底までも  清き心は 月ぞてらさむ」
「心だに 誠の道にかなひなば いのらずとても 神や まもらむ」

というのがあります。

自分は何も悪いことをしていない。
「絶対に」です。
やましいことを一切していない。
そう言い切れる人ってすごいでしょ?

凡人、俗人は、自分と同じようにしか他人を測れないから、
人間がここまで「絶対に潔白」だなんて、「絶対ない」と思いますよね。

それだけに、後になって、
大変な人を陥れちゃったっていう気持ちで背筋がゾーってなったんでしょう。

このお話、
語り出すと止まらない!
それくらい深い! ・・・ので、

「本日は、これぎり~」

*歌舞伎では、ラストがチャンバラ(立ち廻り)で終わるとき、
 どちらが勝ったとかそういう決着まで見せず、
 唐突に役者が居住まいをただし、
 観客に向かって正座してあいさつして幕を閉じることがあります。
 そのときに「本日は、これぎり~」って言うんです。
 「切口上(きりこうじょう)」の一つのパターンです。

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