仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:中村東蔵

2月の歌舞伎座昼の部は通し狂言「新書太閤記」です。
天下人・豊臣秀吉の生涯を描いた吉川英治の「新書太閤記」をベースに、
今回は
まだ独身時代の藤吉郎が妻ねねを娶るあたりから、
本能寺の変、中国大返し、清州会議までを
場面場面を押さえる形で駆け抜けていきます。

見どころは、尾上菊五郎の木下藤吉郎。
何がすごいって、その姿の若々しいこと!
出てきたそのときから「まだ若い頃の秀吉だな」とわかります。
「猿」と呼ばれて蔑まれ、ときに命の危険にさらされながらも、
機知に富んだやりとりと、憎めない人懐っこさを武器に、
時に直球、時に変化球で人々の信頼を得ていくさまを、
朗らかに、闊達に、魅力的に演じていきます。

織田信長役の中村梅玉が、鋭い中にも柔らかな情を見せ、
気丈な妻(尾上菊之助)と交わす最期の言葉にはジーンときます。

逆に明智光秀役の中村吉右衛門は、
信長の叡山焼討を必死でくいとめようとする武士の気迫がすごい。
それがかなわなかった後のぞっとするほど思いつめた表情のみで、
「敵は本能寺にあり」への決意をのぞかせます。

「歌舞伎」というと、隈取でたっぷり見栄を切ったり六方を踏んだり、と
いわゆる「荒事(あらごと)」を想像する方が多いと思いますが、
そのジャンルは多岐にわたります。
「映画」とひと口にいってもいろんなジャンルがあるのと同じ。

今回は「時代劇」に近い舞台として楽しめます。
よく知られたエピソードがちりばめられていますし、リラックスして観てください。
時代背景的にはちょうど今NHKで放送中の大河ドラマ「真田丸」とかぶりますね。

言ってみれば、
1年かけてやった大河ドラマを年末に「総集編」としてまとめたような感じなので、
ちょっと駆け足すぎるかなと思う場面や、ブツ切れ感もなきにしもあらず。
でも、歌舞伎は「場面」で見せるお芝居なのです。

その「場面」の中で、私が思わず涙したのが藤吉郎とねねの婚礼の段。

藤吉郎とねねの婚礼の日に、
友人の前田利家が藤吉郎の母を連れてきます。
母が「お前がこんなに立派になったら、私の私が百姓では恥ずかしかろう」というと、
藤吉郎は「そんなことない。いつだって自慢のおっかさまだ」と言うところでは、思わず涙。
その一場面しか出てこない母役・中村東蔵のすべてを包み込むような優しい声が、
「子を思う母」代表をしっかり務めて観客の心をわしづかみにしました。

主人公だけでなく、脇役の心もしっかり描いているところに
歌舞伎舞台の力があるんですよ!

2015年9月昼の部では、
「競伊勢物語(だてくらべ・いせものがたり」が素晴らしい!
何がいいって、
尾上菊之助の信夫(しのぶ)が最高です!

幸せいっぱいの新婚さんのはなやぎ、
夫のためにプレゼントしたい一心で冒険してしまうところ、
すべての罪を自分だけで終わらせるために、
大好きな母親の前で悪い子ぶろうとするが本心ではないところ、
目の前に実の父親が現れてうれしがるけれど、
育ての母を心から愛するところ、
育ての母のためにも父の言いつけに従うも、
親子の名乗りをしたばかりのその父に殺される運命を、
けなげに受け入れるところ・・・。

ジェットコースターな1日を過ごすことになった一人の田舎娘の
心境が手に取るようにわかります。
もう、すべてがパーフェクト!

このところ、「碇知盛」など立役への挑戦が続く菊之助ですが、
女方としての自分の魅力、力量、あるいは女方の可能性に
改めて目覚めたのではないでしょうか。
夜の部「伽羅先代萩」の沖の井とともに、一回り説得力が増したように思いました。
(菊之助の政岡、観てみたいです!)

もちろん、老母の優しさと悲哀を演じたら右に出るものはいない中村東像の母・小由は
今回も絶品です。
なんでこの人は、全身から無垢な母性オーラを放てるんでしょう。
わざとらしさ、たくんだいやらしさがまったくありません。

紀有常がなぜ娘・信夫を殺さねばならないのか、
やむにやまれぬ彼の立場が、今回はあまり丁寧に描かれていません。
だから
左遷されていた辺境の地で土地の女に産ませた娘を気心知れた小由夫婦に預けっぱなしで出世し、
20年も経って「おお、ちょっと寄ってみたけど元気だった? 娘にも会いたいな~」
みたいなことを言って娘に会って、
「僕が血を分けたパパです。君も貴族。ダンナも一緒に出世させるから都においで」と誘い、
でも実は自分の娘として育てているけど本当は主人の娘である井筒姫と似てるからって
姫を窮地から救うために首斬って身替りになれってどうよ?

実はこのとき、有常自体がすでに囚われ人で、
井筒姫の首を持ってくるか監視されている、とか、
そういう背景がわからないと本当にひどいヤツにしか見えないんですが、
それでも吉右衛門が信夫に斬りつけるときの
「ゆるしてくれ!」という叫びには、
有常の苦悩と悲痛のすべてが込められていて、
すでに有常の全身がズタズタで、血がほとばしり出ているようで
私はこの一言だけで、有常を赦せるような気がしてしまいました。

・・・まあ、私がゆるしてもしかたないんですが。
ゆるしたくもないんですが。
それに信夫は、もうゆるしてるし・・・。

でも、実の父だと言われて一緒に来いって言われて、
十二単衣を父の手づから着せてもらって櫛けづってもらって、
いきなり「死んでくれ~!」ですからね・・・。
本当にゆるせるものなんだろうか。
信夫は死罪にあたる罪を犯してしまっていて、捕まれば育ての母にも累が及び、
その連座から抜け出すためにまず母と縁を切るという信夫の側の理由もあったので、
どうせ死ぬなら母に迷惑がかかからない死に方でっていう究極の選択ではあるものの・・・

優しい母がいて、愛してくれる夫がいて、
そんな平凡で穏やかな生活が、たった一日で崩れていく、
悲しいお話でした。

(「競伊勢物語」の詳しいあらすじはこちらをご覧ください)

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