仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

タグ:中村吉右衛門

2015年9月の歌舞伎座夜の部は
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の通し狂言です。

通しなので、「花水橋」「竹の間」「御殿」「床下」「対決・刃傷」と
時系列に並びます。
単独でよくかかるのは「御殿」と「床下」です。

「御殿」の前段となる「竹の間」
八汐(中村歌六)が幼い主君・鶴千代を守ろうとする乳母・政岡(坂東玉三郎)を
追い落とそうと難癖をつける場面です。
八汐は女性の役ですが、女方ではなく立役が憎々しく務めるのがならい。

わかりづらいのが、八汐とともに鶴千代を訪問する沖の井の立ち位置です。
八汐の手下なのか、違うのか、ビギナーにはなかなか判断がつきません。
今回は菊之助が沖の井の清廉潔白な人物の輪郭をくっきりと表し、
表立ってはどちらの側にもつかないけれど、八汐の言動のほころびを巧みに突き、
「間違ったことはさせない」という毅然とした態度を貫いて、この場の意味がよく理解できました。
この場で玉三郎が着用している打掛がとても美しいので、そこにも注目してください。

「御殿」では
前半に「飯炊き(ままたき)」といって、
毒を盛られぬよう自分でご飯を炊き上げるシーンがついています。
お米をとぐところから何から全部やります。
もちろん、「エア飯炊き」ですが、手順を省かないので時間がかかる。
そこがまどろっこしい、というむきもありますが、
朝から何も食べていない幼い2人がまだかまだかと炊き上がるのを待つしぐさが健気ですし、
「にぎにぎ」を食べる二人の姿は本当にほっこりします。
先日、「竹の間」→「御殿」(飯炊きなし)を見たら、子どもたちはずっと何も食べられていないようで
とても可哀そうになりました。
後半が悲劇なだけに、ここは落差を感じるためにも重要な場面なのではないかと思います。

その後半は、
乳母政岡が、主君の子である鶴千代を守ることを優先して
自分の子が殺されようとするのをみじろぎもせず見つめるところがハイライトです。
たった一人になったときにようやく母の顔に戻り、
鶴千代のために、進んで毒を食らい幼いながら毒見役をまっとうしたわが子に
「でかしゃった、でかしゃった」と声をかけながら
つらい涙を流します。
母の目の前でわざと子を殺す八汐も残酷ですが、
位も上なら悪者としても上をいく、栄御前もお上品だが食えないヤツ。
上村吉弥が能面を思わせる得体の知れぬ無表情で好演しました。

「また子どもを見殺しにする話ですか」
「それも今度は母親とは。鬼母か!」
などと一蹴するのは本当にもったいない!
ありえない仕掛けの中に現代にも通じるリアリティが溢れています。

政岡が鶴千代や千松にかける言葉には
一つひとつに母として乳母としての愛情が滲み出ていますし、
政争に巻き込まれた幼い命を守るため、必死になる様子には手に汗握ります。
前半は「〇〇夫人」が夫の権力をかさに着るみっともなさが浮き彫りになり、
溜飲が下がる場面もあり。
不条理な世間の中でいかに生きるか、
長いものに巻かれ自分を見失うまいと、必死に生きる人たちの物語は、
現代の私たちにもいろいろなことを感じさせてくれます。

女同士による勢力代理戦争である「竹の間」「御殿」に対し、
「床下」「対決・刃傷」は武士の世界が繰り広げられます。

「床下」は忍術使いがネズミになって証拠の連判状を持ち去るという、
幻想的・様式的・奇想天外な場面です。

ネズミを踏みつけて出てくる男之助(尾上松緑)は正義の味方、
そのネズミからドロンドロンと変化して正体を現す悪者が仁木弾正(中村吉右衛門)。
仁木弾正が花道を退場する場面で「宙のり」を使うバージョンもありますが、
今回は、暗闇の中、ろうそくの光が妖しくゆれる中での退場です。
吉右衛門の弾正が、息を呑むほどの存在感で、
何のセリフもなくただ花道を歩くだけなのに、圧倒されます。
あまりに大物のために気勢をそがれ、立ちすくんでつかまえそこなう、みたいな感じが
よく出ていました。

これだけの仁木弾正の「床下」はそうそう見ることができません。
たっぷり味わうためには、1階後方花道寄りのお席がおすすめですが、
2階3階からも、
ろうそくの明かりがもたらす弾正の影が、次第次第に大きく幕に投影され
まことに効果的に仁木弾正の残像をもたらします。

「対決・刃傷」は一種の「大岡裁き」的な裁判もので、
細川勝元による公正な裁判でハッピーエンド。
市川染五郎がすっきりとした勝元を演じ、
前半は悪者の八汐だった中村歌六が、この場では頼兼サイドの重鎮・外記左衛門を務めます。

濃密にして手堅い、
非常に素晴らしい舞台なので、ぜひご覧になっていただきたいと思います。


(詳しいあらすじはこちらのサイトに出ています)

今月の歌舞伎座では、
夜の部最初の「一谷嫩軍記~陣門・組討」が素晴らしい!
ぜひご覧になっていただきたいです。

「いちのたに・ふたばぐんき」って何?

みなさんの中には中学校の国語の時間、
「平家物語」の「熊谷直実」の段(「敦盛最期」)、
やった人いるのではないでしょうか。

美しい鎧兜の武者と波打ち際で一騎打ちして、
捕えてみれば自分の息子と同じくらいの若武者、
「あなた一人がどうなろうと源氏が勝つ流れはとまらない」
と、わざと逃がそうとするのですが、
高貴な若者は逆に
「だからこそ、これから逃げ回って山賊のような者に殺されるくらいなら
(礼節をわきまえたきちんとした武士である)あなたに首討たれたい」
と言って、そこを動きません。
そうこうするうち源氏側の追手が迫ってきます。
直実は断腸の思いで若武者の首を討つ、という
「平家物語」でも白眉とされる1節の一つです。

このお話をもっとふくらませて長編の歌舞伎にしたのが
「一谷嫩軍記(いちのたに・ふたば・ぐんき)」です。

その長いストーリーの中で
直接上記の部分にあたるのが「組討(くみうち)」

平家物語に描かれた通りの恰好をして、
白い馬(正確には連銭葦毛〈れんぜんあしげ〉)に乗って現れる
平敦盛(たいらのあつもり・尾上菊之助)の武者姿が
本当に絵巻物から抜け出たようで気品と美しさに溢れています。

敦盛

           日本の古典7「平家物語」(世界文化社)函表より

           (一の谷合戦図屏風 敦盛 埼玉県立博物館蔵)


一方の直実は黒い馬に紫の母衣(ほろ)。
青い海をバックにした色の好対照が物語にコントラストを増幅。
波打ち際での馬上の合戦では、
遠近法をうまくつかって子役二人で演じさせる手法。
通常の演出方法ですが、
決して「可愛い」で済まされぬ気迫のこもった殺陣で見せ、
大人二人の演技の続きとしての流れを絶やしません。

そして、何より吉右衛門です。
直実に扮する中村吉右衛門が
武士の勇猛さ、礼節、そして優しさを渾身で体現、
「これぞ歌舞伎!」という凝縮された演技を見せてくれます。

劇場は水を打ったような静寂の中、
首のない死体(菊之助)と、
敦盛を探す途中で深手を追い、息絶えた敦盛の恋人・
玉織姫(芝雀)を同じ板に乗せて海に流してやるなど、
ゆっくりと、無言で舞台を動く直実の一徒手一投足を
ただただじっと見守るだけ。

連戦練磨の手練れの武将であっても、
まだ人生はこれから、という若者を死なせることは
本当につらいこと。

この「一谷嫩軍記」は平家物語の記述を越えて、
この後もお話は続きます。
敦盛の首を持って義経に見せるという「熊谷陣屋」の段。
ここのほうが「組討」よりよく上演されるし、
シネマ歌舞伎にもなっているので、
ご存知の方も多いかもしれませんが、
直実は単に「息子と同じくらいの若者を殺した」以上の苦しみを背負っています。

そのことは、
「組討」の段だけを観ている間はわかりません。
でも、
愛馬にだけ無言で明かす溢れる涙に、胸がつまります。
歌舞伎の中で、馬は2人の人が中に入って演じますが、
本物の馬かと思うほどリアルな演技をします。
ここも見どころの一つです。

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今週末からクリント・イーストウッド監督の映画
「アメリカン・スナイパー」が公開されますが、
これは、イラク戦争などで160人を殺害した
名うてのスナイパーが主人公。
帰還後、PTSDに苦しみます。

ちょうど今、テレビで予告編が流れていますね。
幼い男の子が武器を担ごうとする。
その子に照準を合わせながら、
「(武器を)持つな、持つな、持たないでくれ!」と願うスナイパー。

こちらの予告編も、胸がつまります。

https://www.youtube.com/watch?v=Av1UW0myxiA

戦争とは、
人の持つ優しさを、当たりまえの情愛を、人間性を
なんと残酷に踏みにじることでしょう。
自分にも、敵にも、
家族がいて、愛する人がいて、
人を傷つけず、幸せに暮らしたいのに…。

それは1000年前も、今も、変わらない心なのです。

幕見で観れば1500円。
吉右衛門丈、体力的なこともあり「これが最後と思って」とおっしゃっています。
16:30~17:55。
時間が合う方は絶対見たほうがいいと思います。
歴女の方は、必見。

お時間があれば、夜の部は通しでどうぞ。
続く「神田祭」は、重苦しい雰囲気を一発で消してくれますし、
「筆屋幸兵衛」は、明治初期が舞台で、
歌舞伎というより新劇に近い。
主役の松本幸四郎の狂気の演技が最高です。
中村児太郎のお雪も、他の演目での華やかな芸者や傾城とは一変、
オーラを消し尽くしての薄幸度200%のリアルさに拍手です。

歌舞伎座公演の詳細はこちら

歌舞伎座は、
松竹座から1日遅れて今日が初日です。

昼の部は
「吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)」「毛谷村(けやむら)」
「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」と
名作が目白押しです。

私がもっとも楽しみにしているのは「積恋雪関扉」
小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精の菊之助。
舞踊の大曲ですから、舞の名手としての菊之助をじっくり味わいたいです。

「吉例寿曽我」はオールスターキャスト勢揃いで見ると華やかですが、
今回はぐっと若返っています。
存在感と憎々しさ抜群の中村歌六が工藤祐経なので、
びしっと場を引き締めて統率してくれることでしょう。
荒事が好き、という中村歌昇の曽我五郎が楽しみ。
一方
「毛谷村」は菊五郎/時蔵の鉄板で、安定感抜群。
大人の芸が観られますね。

私は「彦山権現〜」のお園という女性が大好きです。
講座でも取り上げましたが、
男に生まれたかったデキる女のプライドとか、
長女だからすべての責任をとろうとしてしまうところとか、
本当に感情移入できちゃう女性です。
「毛谷村」の段だけだとなかなかわからないですが、
そういう性格を、
時蔵さんがうまく浮かび上がらせてくれることでしょう。

夜の部は
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」と
「神田祭」「筆屋幸兵衛」。

「一谷嫩軍記」は、
よくかかる「熊谷陣屋」ではなく、その前段の「陣門」と「組打」が出ます。
「組打」は、
「平家物語」にある、波打ち際で熊谷直実が敦盛の首を取る場面です。
美しい若武者姿も一見の価値あり。

「神田祭」は江戸っ子のいなせぶりを理屈抜きで楽しんでください。

逆にホネのある物語が好きな方には「筆屋幸兵衛」
明治維新で落ちぶれる元武士とその家族の運命を描く
河竹黙阿弥の作品です。
こういう心理ものでは、
シェイクスピアなどの舞台も数多く踏んだ松本幸四郎が
役柄に深い陰影を刻みます。

詳しくは、こちらをどうぞ。

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