仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

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東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
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カテゴリ: 日常の中の歌舞伎

昨日に続いて、
夜の部の「寺子屋」のレビューを書きたいのですが、
今日はその前に、
私が歌舞伎を見始めたときの率直な疑問について書きます。


「寺子屋」は
「菅原伝授手習鑑」という、いわば大河ドラマ、連続ドラマの中でも
非常に人気のある場面です。
でも「寺子屋」って江戸時代の塾のことですよね。

菅原道真は平安時代の人なのに、
なぜに「寺子屋」??



歌舞伎ビギナーズにはまず理解不能です。
私がそうでした。
越えねばならぬ、第一ハードル。

こういう時代考証無視の作品、実は歌舞伎に多いんです。
でも今はもう慣れました(笑)。っていうか、
そういうシステムだということをわかれば何の問題もありません。

ちょっと説明しますね。

まず、
歌舞伎では「時代物」「世話物」という区別があって、
「時代物」というのは、私たちが今「時代劇」といっているものです。
江戸時代の人にとって、
「時代劇」は、平安時代だったり、室町時代だったり、戦国時代だったりします。
そして
「世話物」というのが、江戸時代の「現代劇」で、
江戸時代の風物、とくに商人、町人の生活が色濃く描かれます。
というのも、江戸時代、今の政治のことを描くのはご法度。
だから「現代劇」はホームドラマや恋愛ドラマに限られました。

今回歌舞伎座で上演されている「菅原伝授手習鑑」は時代物
江戸時代の時代劇です。

そして「時代物」の多くに、
「時代世話」という場面が挿入されています。
これは何かといいますと、
すごーーーーくひらたくいえば、
「時代劇の一部分を現代的にしたもの」

え?
そんなことできるの?
・・・とお思いかもしれません。
でもけっこう、私たちもやってるんです。

たとえば「必殺!仕掛人」シリーズ
時代劇に現代性を入れ込んだものとしては草分けではないでしょうか。

「ムコ殿!」で有名な、中村主水の家庭内でのやりとりは、
「時代劇」というよりホームドラマです。

「時代劇」は、
今と異なる空間を楽しむものでありながら、
やはりどこかで自分と共通のものを探して共感できなければ
「面白い」とは感じられません。

だから制作側は
「昔の話を昔のままにやるとわかりにくいので、
 今の人がすぐにピンとくるように、何か工夫が必要だ」と
学園ドラマやホームドラマっぽくしてみたり、
テーマも、
歴史的事実がどうのこうのより、
公金横領とか、保険金殺人とか、
そのときの大事件を時代劇にアレンジしたりして
身近に感じてもらおうとする。

人気のある時代劇というのは、
少なからず「現代」の空気を含んでいるものなのです。

そういう工夫の一つとして、
歌舞伎や人形浄瑠璃では
より身近に感じられ、登場人物の立場や心情がつかみやすいように
風俗を現代的、つまり江戸時代的にしている、と考えてください。

たしかに時代考証デタラメです。

昼の部でも、
菅原道真は平安時代の恰好(直衣直垂)でいるのに、
「道明寺」に出てくる道真のお母さんは
どう見ても江戸時代の衣裳。・・・・でも・・・・


「いいんです!」


いいんです、そんなことは。
フィクションですから。つくりものですから。
泣ければ。楽しければ。わかりやすければ。

それに先ほど述べましたが、
ダイレクトに社会批判ができないくくりの中、
作者たちは「時代劇」の枠(世界、といいます)を借りて、
今そこにある問題を、たくみに描いてみせたのです。
すごいでしょ?

「でもさー、急に衣裳変わったり、時代が飛んだり、
 かえって複雑になって、ついていけなくない?」

・・・と今つぶやいたアナタ!

同じこと、
現代でもけっこうしてません?

織田信長が
東京ガスのCM「ガス・パッ・チョ」で箪笥から出てきたり、
お茶が飲みたくなって「利休も呼んじゃった!」とか。

トヨタのCMでは車で高速を走っていたり、
さっき武将姿だったと思ったら、今度は洋服だったり。

桃太郎と金太郎と浦島太郎が友達で、
浦島太郎が玉手箱あけたら携帯出てきたり、

皆楽しいでしょ?
わかりやすいでしょ?

江戸の人たちも、そういう楽しみ方をしていた、ということです。

キャラクターからかけ離れていなければ、
(役の性根がおさえられていれば)
よいアレンジはオリジナリティとして評価され、
人気も出て再演が重ねられ、
そして古典になっていって今に至ります。

冒頭に申しあげたように、
「寺子屋」はとても人気のある作品。
上にいろいろ書きましたが、
この「寺子屋」の段だけで、
非常に密度の濃いサスペンスドラマになっています。
(衣裳的にも、ほぼ全部江戸時代ですし、
 菅丞相は出てこないし、
 いわゆる「時代劇」として普通に楽しめます)

火曜サスペンス風に言えば
「京都殺人案内・山間の塾殺人事件~元エリート校教師、新入生を殺す」
みたいなお話です。

夫婦で殺人計画を練る場面の緊張、
その後のどんでん返し、
見どころ満載です。

とても面白かったので、ぜひご覧ください!
オススメ!
レビューを明日書こう、と思ったのですが、
これは昼の「筆法伝授」を先に書かないと。
せっかくの通し狂言なんで・・・。

(だから昼を先に観なくちゃいけないのに、すみません)

レビューのほうは下旬になります。

今月の歌舞伎座では、
夜の部最初の「一谷嫩軍記~陣門・組討」が素晴らしい!
ぜひご覧になっていただきたいです。

「いちのたに・ふたばぐんき」って何?

みなさんの中には中学校の国語の時間、
「平家物語」の「熊谷直実」の段(「敦盛最期」)、
やった人いるのではないでしょうか。

美しい鎧兜の武者と波打ち際で一騎打ちして、
捕えてみれば自分の息子と同じくらいの若武者、
「あなた一人がどうなろうと源氏が勝つ流れはとまらない」
と、わざと逃がそうとするのですが、
高貴な若者は逆に
「だからこそ、これから逃げ回って山賊のような者に殺されるくらいなら
(礼節をわきまえたきちんとした武士である)あなたに首討たれたい」
と言って、そこを動きません。
そうこうするうち源氏側の追手が迫ってきます。
直実は断腸の思いで若武者の首を討つ、という
「平家物語」でも白眉とされる1節の一つです。

このお話をもっとふくらませて長編の歌舞伎にしたのが
「一谷嫩軍記(いちのたに・ふたば・ぐんき)」です。

その長いストーリーの中で
直接上記の部分にあたるのが「組討(くみうち)」

平家物語に描かれた通りの恰好をして、
白い馬(正確には連銭葦毛〈れんぜんあしげ〉)に乗って現れる
平敦盛(たいらのあつもり・尾上菊之助)の武者姿が
本当に絵巻物から抜け出たようで気品と美しさに溢れています。

敦盛

           日本の古典7「平家物語」(世界文化社)函表より

           (一の谷合戦図屏風 敦盛 埼玉県立博物館蔵)


一方の直実は黒い馬に紫の母衣(ほろ)。
青い海をバックにした色の好対照が物語にコントラストを増幅。
波打ち際での馬上の合戦では、
遠近法をうまくつかって子役二人で演じさせる手法。
通常の演出方法ですが、
決して「可愛い」で済まされぬ気迫のこもった殺陣で見せ、
大人二人の演技の続きとしての流れを絶やしません。

そして、何より吉右衛門です。
直実に扮する中村吉右衛門が
武士の勇猛さ、礼節、そして優しさを渾身で体現、
「これぞ歌舞伎!」という凝縮された演技を見せてくれます。

劇場は水を打ったような静寂の中、
首のない死体(菊之助)と、
敦盛を探す途中で深手を追い、息絶えた敦盛の恋人・
玉織姫(芝雀)を同じ板に乗せて海に流してやるなど、
ゆっくりと、無言で舞台を動く直実の一徒手一投足を
ただただじっと見守るだけ。

連戦練磨の手練れの武将であっても、
まだ人生はこれから、という若者を死なせることは
本当につらいこと。

この「一谷嫩軍記」は平家物語の記述を越えて、
この後もお話は続きます。
敦盛の首を持って義経に見せるという「熊谷陣屋」の段。
ここのほうが「組討」よりよく上演されるし、
シネマ歌舞伎にもなっているので、
ご存知の方も多いかもしれませんが、
直実は単に「息子と同じくらいの若者を殺した」以上の苦しみを背負っています。

そのことは、
「組討」の段だけを観ている間はわかりません。
でも、
愛馬にだけ無言で明かす溢れる涙に、胸がつまります。
歌舞伎の中で、馬は2人の人が中に入って演じますが、
本物の馬かと思うほどリアルな演技をします。
ここも見どころの一つです。

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今週末からクリント・イーストウッド監督の映画
「アメリカン・スナイパー」が公開されますが、
これは、イラク戦争などで160人を殺害した
名うてのスナイパーが主人公。
帰還後、PTSDに苦しみます。

ちょうど今、テレビで予告編が流れていますね。
幼い男の子が武器を担ごうとする。
その子に照準を合わせながら、
「(武器を)持つな、持つな、持たないでくれ!」と願うスナイパー。

こちらの予告編も、胸がつまります。

https://www.youtube.com/watch?v=Av1UW0myxiA

戦争とは、
人の持つ優しさを、当たりまえの情愛を、人間性を
なんと残酷に踏みにじることでしょう。
自分にも、敵にも、
家族がいて、愛する人がいて、
人を傷つけず、幸せに暮らしたいのに…。

それは1000年前も、今も、変わらない心なのです。

幕見で観れば1500円。
吉右衛門丈、体力的なこともあり「これが最後と思って」とおっしゃっています。
16:30~17:55。
時間が合う方は絶対見たほうがいいと思います。
歴女の方は、必見。

お時間があれば、夜の部は通しでどうぞ。
続く「神田祭」は、重苦しい雰囲気を一発で消してくれますし、
「筆屋幸兵衛」は、明治初期が舞台で、
歌舞伎というより新劇に近い。
主役の松本幸四郎の狂気の演技が最高です。
中村児太郎のお雪も、他の演目での華やかな芸者や傾城とは一変、
オーラを消し尽くしての薄幸度200%のリアルさに拍手です。

歌舞伎座公演の詳細はこちら

誰かについて記事を書く場合、
一般的には
「博士」とか「社長」とか肩書きがあると、それを使い、
あとは大体「氏」をつけます。

ただ、俳優やタレント、歌手などは
記事の中でも呼び捨てのことが多いです。

ファンは
「みぽりん」とか「やまぴー」とか「タッキー」とか、
愛称をつけ、「呼び捨て」を避けようとします。
もちろん「ヤザワ」「キヨシロー」「タクロー」など
敢えて呼び捨てにすることで信奉の強さを示すこともありますけどね。

歌舞伎俳優の場合も、
圧倒的に呼び捨てのときが多いですが、
親しみをこめて「さん」づけしたり、
若い人にだと「クン」づけだったり、
ファンは
自分の気持ちを呼び方で表します。

関西の中村鴈治郎さんのことは「がんじろはん」、
今の四代目市川猿之助は
市川亀治郎時代、「亀ちゃん」と呼ばれていました。
市川染五郎さんもすでに40代ですが、
昔からのファンは「染ちゃん」です。
最近では「松也クン」が定着しつつありますね。

でも、
もう少し敬意を払って話題にしたいとき、
あらたまった文章中で「さん」はおかしいが、
だからといって呼び捨てはしたくないとき、
「丈」をよく使います。

「丈」は、歌舞伎俳優に限った敬称ではありませんが、
特に歌舞伎では、
男性かつ女方とか、一般の敬称を使うことを戸惑う場合もあり、
そこがしっくりいくのかもしれません。

相撲の行司(木村庄之助、式守伊之助など)にも
敬称には「丈」をつけるとのことです。

代々引き継がれてきた名前というところが共通点でしょうか。

歌舞伎で襲名するということは、
名前を受け継ぐだけでなく、
その芸風も受け継ぐという意味合いがあります。
名に恥じぬよう、
その名にふさわしく、というふうに、
皆さんとても襲名を大切にしています。

でもファンとしては、
自分が慣れ親しんだ名前に別れを告げることに
一抹の寂しさがあることも事実。
もちろん、
大名跡を襲名することの晴れがましさを
うれしく誇らしく思ってはいるんですけどね。

今の松本幸四郎さんを
いまだに「染五郎さん」と呼んでしまう、という方もおられます。
「勘九郎さん」というと、
亡くなった勘三郎さんのことを思い出す方もいらっしゃいます。
「四代目市川猿之助」を襲名した今でも、
思わず「亀ちゃん」と呼んでしまうファンは多いです。

それは、悪いことではない、と私は思っています。
誰かのファンになったからこそ歌舞伎が好きになった。
自分の情熱の記憶が、そのときの「名前」に結晶している。
セイシュンの勲章です。

この感覚は、
ファンだけではないはず。
猿之助さんも、襲名直前まで
「ずっと亀治郎でいたい」と言っていたくらいですから。

それでも、
襲名は役者としてもう一回り大きくなるチャンスです。
一人の人間の中二つの名前が融合していくさまを見る。
人間の名前と身体を通して歴史の厚みを実感できるのは
歌舞伎を観る上での醍醐味の一つです。

それから…。

一般の人名の場合、最初にフルネームを紹介した後は、
「中村さんは、」「市川さんは」と、姓で呼ぶことが多いですが、
歌舞伎でそれをやってしまうと
中村さんとか市川さんとか坂東さんだらけになってしまって、
ちょっと間が抜けてしまいますね。
だから
「勘九郎さん」「海老蔵さん」「玉三郎さん」というふうに、
名前のほうで呼びます。

でも「さん」ではくだけすぎるな~、という場合、
といって呼び捨てではきつくなるな~、という場合、
そのときこそ、「丈」の出番です!

ちょこっと覚えておくと、便利ですよ。

1月の松竹座昼の部で上演された「天衣粉上野初花~河内山」
河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の作品で、
「てんにまごう・うえのの・はつはな~こうちやま」と読みます。

今回は、主人公の河内山宗俊(そうしゅん)が片岡仁左衛門でした。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/2015/01/_1.html

実は私、この「河内山」というお芝居、
以前はどちらかというと、苦手な部類でした。

やくざまがいの坊主が
偉いお坊さんに化けて大名の御屋敷に乗り込んで、
大名脅して、腰元を助けて、
でも帰り際に正体がばれてしまう。
すると「おれは河内山宗俊、やせても枯れても直参だ!」とか言って開き直り、
自分のことも、企みのことも、全部白状するのにそのまま帰れて、
最後っ屁のように「馬っ鹿めェ~!」と悪態ついて去っていくという…。

これのどこに感情移入しろと??

ところが最近になって目からウロコというか、
今までとまったく違う印象を持つようになりました。

御数寄屋(おすきや)坊主という直参扱いの茶坊主・河内山が
その立場をかさに質屋に難癖つけ、
古い木刀をカタに50両貸せとまくしたてるのが冒頭の「質店(しちみせ)」。

ここで店の娘が奉公先の大名屋敷で主人の妾になれといわれ、
婚約してるからと断ると押しこめられて命も危ないことを知る。
こりゃ木刀よりもカネになる、と、娘を助ける約束をする河内山。
手付100両、成功報酬100両で、請け負ったものの、
実は大した計画も、見通しもない。
しかし、はたと思いついて高僧に化け、大名屋敷に乗り込んでいく、というわけ。

ここで私は
「小悪人」の河内山が、庶民のために「巨悪」の大名に斬り込む話なんだと納得。
つまり、
河内山宗俊ってルパン三世なんだ~!

そう考えると、悪人なのに憎めないキャラであることも、
金目の話はないかとうろついていたら、娘さんの難儀に遭遇し、
自分の危険も顧みず娘さん救出作戦に出るところも、

腰元・浪路(質屋の娘・おふじのこと)はクラリスで、
浪路を妾にしようとしている松江出雲守カリオストロ伯爵で、
ルパンが変装したりしてカリオストロ城に侵入したように、
河内山もお屋敷に乗り込んでいったと考えればすんなり受け入れられる!

もう少しでうまくいく、と思ったところでバレそうになるところも、
そうなったら開き直って「俺の名はルパン三世!」みたいに話すところも、
バレても逃げおおせるところも、
娘救出といっても正義のため一辺倒ではなく、おカネのためであり、
巨悪からもきっちり大金せしめるところも、
最後に「あ~ばよ~!」というところも、
どこもかしこも「カリオストロの城」なのでありました。

カリオストロ伯爵、じゃなかった出雲守が
どこまでも巨大で憎々しい悪人だから、
一人で乗り込む河内山がいかにうまく計画を運べるかにスリルが。
駆け引きには「ザ・交渉人」的な緊張感があります。

時々「素」が出てしまうところを隠す可笑しみも、
ルパン三世チックなのでした。

また、
もう一つ、このご時世だからこそ胸にこたえる場面があります。

「質店」の段で
河内山が「手付100両、後金(あとがね)100両」とふっかけると、
番頭がしぶるんですよ。
「おかみさん、こんなのに100両やったらだまし取られるだけですよ、
 娘さんは帰ってきませんよ」と。

河内山は、自分には最初から関係のないヤマだから
「別に自分はいいけど、今100両のカネを出し渋って、
 この店全部を譲られる跡取り娘を死なせたときには、
 損失は100両じゃきかないんじゃないの?」と余裕しゃくしゃく。

口をとがらせて金を出させまいとする番頭を押しのけて
「あんたの店には損は出させないから」と
親戚の和泉屋清兵衛という大店の主人が
「娘さんが帰ってきたら、そのときは戻してくれればいいから」と
ポケットマネーで100両出すのです。うるうる~。

母は清兵衛に深く感謝し、その場で清兵衛に100両返します。
「十に八、九は戻らないかも」と覚悟しながらも、
藁にもすがる思いで、娘のために自ら100両出すのです。
わかる~。母親だもの~。あるおカネなら出す~。

最近の人質事件をつい連想してしまいました。
最初の身代金は20億だったのが、
どんな交渉をしたのかしなかったのか、200億となり、
最後は「カネではない」になったいきさつとかも。

巨悪を前にして、庶民は無力です。
そして、
家族を、子どもを、夫を、思う気持ちは今も昔も変わりません。

今度「河内山」を見るときには、
そんなことも考えながら観劇してみてください。

ちなみに、
ルパン三世に次元大介と石川五ェ門がいるように、
河内山宗俊には、直次郎と丑松という子分がいます。

「ルパン三世」「カリオストロの城」については、これをどうぞ。

今私がはまっているドラマがフジテレビの月9ドラマ
「デート〜恋とはどんなものかしら〜」
浮世離れしたリケジョ・依子(杏) と
自称「高等遊民」 の文化系オタクにして筋金入りのニート・巧(長谷川博己)が
それぞれ自分の目的のために
恋愛抜きで結婚しようとするコメディです。

古沢良太の脚本が秀逸で、
リズムよいセリフがポンポンと飛び交い、
シチュエーションも意外の上にまた意外。
あっという間の1時間で、即座に次回が待ち遠しくなるという
久々にドラマで高揚感をあじわっております。
至福!

さて、
ではどこが歌舞伎に関係あるかと申しますと、
「Hey, Say! Jump」の中島裕翔が好演している鷲尾君に注目。
依子の父親の部下で、
何かと依子と巧の間に割り込んでくるのですが、
この人がまさに近松門左衛門の「封印切」でいう
八右衛門の役回りなのです。

よっくよく聞けば正論を言っている。
社会的地位や周囲からの信用、金回りは、主人公より上。
ドラマではニートの巧、近松では養子あがりの忠兵衛について
「こんな男に関わったら痛い目に合いまっせ」と
とことん忠告するのだけれど、
そしてリクツではその通りなんだけど、
なぜか「悪役」の損な役回りなのです。

これを爽やかイケメンの中島君がやっても、
やっぱり敵役は敵役、というところが
まさに八右衛門キャラ。
今月の松竹座では、片岡仁左衛門が演じており、
イケメンの八右衛門はなかなかようござんす。

自分のカネでもないのにおごろうとしたり、
贈り物をしたりする巧、
ニートなのに「出版社勤務」とか、
その幻想についはまりこんでしまう巧は、
「男が立たぬ」とかすぐ言っちゃって
本当のことを口にすることができず
「じゃあいいよ、やってやるよ」と逆ギレする忠兵衛そのもの。

依子はなんで正社員の鷲尾君には目もくれないのか、
経済観念ゼロの巧とどう絡まっていくのか…。

そんな月9のお話も交えながら、
3月6日は「封印切」のお話をします。
ぜひいらしてくださいね!

その前に、
2月6日は同じく近松の「曽根崎心中」についてお話しします。
ワイドショーの再現ドラマのような実話ものの中に潜む
無垢で一途なラブストーリー。
2月の松竹座でちょうどかかりますので、
予習にいらっしゃるのもよし、
「観劇した気」になるのもよし。
ぜひお越しください。

講座のお問い合わせはGINZA楽・学倶楽部まで。




 

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