仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

2015年08月

東銀座の歌舞伎座隣りのビルで開催する
GINZA楽・学倶楽部主催「女性の視点で読み直す歌舞伎」、
21回目の9/4(金)は第7クールの最終回です。

泉鏡花の戯曲にちりばめられた色彩鮮やかな「琅玕(ろうかん)」の世界とは?
乞われて海の底に嫁いでいった娘が見たものは?

「美女と野獣」の世界にも通じるカルチャーギャップがテーマです。


「女性の視点で読み直す歌舞伎」は各3回シリーズですが、
1回でも申し込めますので、
金曜の13時半から15時半までお時間がとれる方、ぜひお越しください。

お申込みはGINZA楽・学倶楽部まで。

「海神別荘」は、9/26から月イチシネマ歌舞伎として各地で上映されます。

中村歌昇・種之助兄弟による初めての勉強会が
8/24、25に国立劇場小劇場で行われました。
演目は「毛谷村」と「船弁慶」。

「毛谷村」は歌昇が主人公の六助です。
お園は中村芝雀、微塵弾正を尾上松緑という豪華な布陣。
「船弁慶」は種之助が静御前/知盛霊で、
こちらも義経に市川染五郎を迎え、
弁慶は父・又五郎、舟長は兄・歌昇でした。

特筆は種之助の静御前で、
これまで観たどんな静とも異なる、清廉かつ瑞々しい出来。
私はこの演目を観るといつも
「恋人との別れを前に白拍子として舞うように命じられる」つまり
商売女としてしか見られていない静が哀れでならないのですが、
今回はそんなことどこかに吹っ飛んでしまうほど、
静と義経の間には熱い熱い恋人同士のきずながありました。

静には、義経しか見えない。
一瞬でも長く義経と一緒にいたい恋心、
義経の航海無事を願い、一心に舞うひたむきさ。
その情熱のほとばしりがありながら、
能舞の格調の高さを凛と保っているのです。

そうした静の心根を、染五郎の義経もしっかりと受け止め、
上に立つ者として苦渋の決断をしながらも、
「本当はお前といたいんだ!」の視線が静の瞳を指して空中を一直線!
短いセリフの中に、ドラマが感じられます。
美しく、凛々しく、心優しい義経が最高でした。

若い二人の間に割って入る弁慶ですが、又五郎の弁慶は情に厚い。
別れさせなければならない苦悩をかみ殺すところが、
「この場に悪い人などだれもいないんだな。せつないな~」を実感させます。

観る前は、静より知盛の霊のほうを期待していたのですが、
こちらは「まだまだ」。
重力を感じさせない足の運びは素晴らしいものの、小粒な知盛となりました。

舟長役は小気味よく好演した歌昇、「毛谷村」では六助を。
しかし六助、一筋縄ではいきません。

親孝行のためだと言われればわざと負ける気の好い田舎者としての顔、
助けた子どもの面倒をみる、子ども好きな顔、
「母にしろ」「嫁にしろ」と押しかけられてもすぐに気分を害さず、
「今日は奇妙なことばかり起こるな~」と笑って構えるおおらかさ。
しかし一転、
師匠と仰ぎ見るお園の父・一味斎の横死を知り、かつ
弾正に騙されたと知って形相が変わり、凄みが出るところ。
最後は敵討ちに出掛ける雄々しさと、「女房」に見送られる面映ゆさと。

がんばってはいましたが、六助の心の動きが手に取るように見えるまではいきませんでした。
子どもをあやすところでは泣きすぎ、後半は微笑みすぎか。
どちらかというと、前半におおらかさを、後半は剣術の達人としての厳しさを強調し、
メリハリを逆につけたほうがよかった気がする。
これ、愛之助で観たときもそう思ったけれど、
受けの多い役なので、本当に難しいんですよ。
吉右衛門とか菊五郎とか仁左衛門とか、重鎮がやった初めて味が出る。
大体が、「力持ちの大女」が惚れる「無敵の大男」の話なので、
小柄な歌昇にはただでさえハードルの高い人物でした。

でも、いいんです。
勉強会ですから。本役にするには、当然気の遠くなるような道のりが必要なのです。
「まだまだ」が如実に現れ、はるか向こうに高みの嶺があるのだと自覚することこそ、
勉強会の本分です。

すべてはここから。がんばれ、兄弟!

今回の上方歌舞伎会は「双蝶々曲輪日記」の通しです。

序幕の「堀江角力場」では、
与五郎約の坂東竹之助が上方のぼんぼんらしい柔らかみのあるつっころばしで
やっぱり本場は違うな~、と思ってしまいました。
中村鴈政の放駒長吉も好演。
新調した着物を喜ぶ姿、はれがましさが秀逸。
大関・濡髪に対する憧れが強いからこそ
「物を頼むときの順序が違う!」と濡髪にくってかかるところが、特に素晴らしかった。

四幕目の「引き窓」は
今や上方歌舞伎のホープ「晴(そら)の会」の三人雀・片岡千次郎、千壽、松十郎揃い踏みで
高水準の舞台となりました。
そこで私の目を引いたのが、南与兵衛を演じた片岡松太朗。
仁左衛門の演技を思わせる丁寧かつメリハリのある演技で出色でした。
ちょっとした気持ちの動きが目に、眉に、口元に出て、
懸命に稽古したことがうかがわれ、好感が持てました。

逆に、浮き彫りになったのが濡髪の難しさ。
体だけでなく人物も大きく、だからこそ人気のある分別ある大関が、
なぜこの道しか選べなかったのか。
若い人には本当に、役作りが大変だったと思います。

劇場ロビーで片岡秀太郎さんとすれ違いました。
いい匂いがしました!

スーパー歌舞伎「新・水滸伝」、面白かったです!

私はこれまで「水滸伝」にも「梁山泊」にもあまり感情移入することなくやってきたので、
原作との関係はよくわからないまま、
ただ目の前の物語を楽しみました。

主人公は市川右近扮する林冲なのですが、
ドラマの中でもっともウェイトを占めていたのは
王英(市川猿弥)と、敵ながら彼に一目ぼれされる青華(市川笑也)。
猿弥が「見た目は醜男だが心がチョーイケメン」な男を清々しく演じる。
青華は「纏足(てんそく=女の子の足を小さくするために縛って成長させなくする)」をしていない女。
だからこそ剣の名手となったのだけれど、
婚約者の祝彪(市川猿四郎)は彼女を「できそこないの女」と蔑む。
自分自身を恥じて生きる青華に対し、
「そのままのそなたが美しい!」とアタックしまくる王英。
王英のラブコールに対し、かたくなに自分を閉ざす青華に対し、
王英の仲間であるお夜叉(市川春猿)は
「あんたの足は纏足はしていないけれど、自分で自分の心を常識で縛っている」と言い放つ。

「ありのままに」まあ、歌舞伎流「雪アナ」ともいえるけれど、初演はこちらのほうが早いです。

スーパー歌舞伎といえば、宙のりがお約束ですが、
宙のりは2回、3階からの大飛翔は1回だけでした。
でも、物語の中でとても大切なところで、必然性のある宙のりです。
飛躍はかなりの時間で、
どこの席に座る観客にも大サービスでした。

サービスといえば、
1階席を走り回る立ち廻りが通常なら見えない上階席の観客のために、
鏡張りにするアイデアも素敵です。
鏡の前で二倍に揺らめくランタンのともしびも美しかった。

何度も再演されている作品には、
いつの時代にも愛される普遍的なテーマがあり、
エンタメとしての創意工夫が凝らされていると改めて感心しました。

*大阪・上本町の新歌舞伎座も、今回が初めてです。

新歌舞伎座

私は第一部の「おちくぼ物語」がいたく気に入りました。
ひと口で説明すると「和製シンデレラ」になってしまいますが、
単なる「継子いじめ」のお話にとどまりません。

何かと言うと「おゆるしなされてくださいませ」と謝ることしかしない継子・おちくぼ。
常に「お前のしたいようにすればよい」といいながら、
死んだ前妻・おちくぼの母との思い出を何かと言えば口にしてはばからない夫。
後妻の苛立ちが募るのもある面ではもっともと思わせます。

また、おちくぼにとって白馬の王子である左近の少将も、
「お前だけだ」というけれど、あちこちに女を囲っています。
そういう少将にチクリと嫌味をいうことも忘れないおちくぼ。現実的です。

ちょっと無理があるなー、と思う部分も多々ありますが、楽しめました!

第三部の「祇園恋づくし」は、
京の人々と江戸の人々のカルチャーギャップをわかりやすくネタにしてあります。
これは、東京で見るのと江戸で見るのとでお客さんの反応が違ってくるかもしれませんね。
何といっても中村七之助のコメディエンヌぶりが達者なのと、
中村扇雀が立役・女方の二役を見事に演じ分けていたのが印象的でした。

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