仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

2015年06月

今月の歌舞伎座は、
昼の部が「南総里見八犬伝」と「与話情浮名横櫛」そして
「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」。

「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」は
いわゆる「お富さん」の話。
〽粋な黒塀見越しの松に/あだな姿の洗い髪/
 死んだはずだよお富さん~・・・の、
お富さんを坂東玉三郎が、
「御新造さんへ、お富さんへ、いやさお富!久しぶりだ~な~」の
与三郎を市川海老蔵が務めます。

「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」は、
市川猿之助の六変化で見どころたっぷり。
こちらも見逃せません。

・・・ということで、
なんと3日の初日を待たずにチケットが完売。
人気の玉三郎、海老蔵、猿之助の揃い踏みなので、むべなるかな。
今後、団体キャンセルなどによる戻りチケットを待つか、
幕見に並ぶなどしないと観劇は難しいかもしれません。

夜の部も完売の日が多いですが、
こちらはまだ大丈夫。
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の「熊谷陣屋」と
通し狂言「怪談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)」。
こちらも見逃せません。

「熊谷陣屋」では海老蔵が
左團次、芝雀、魁春、梅玉などのベテラン勢を向こうにまわし、
熊谷直実を務めます。

「牡丹燈籠」は、
鉄板お峰・玉三郎の胸を借りて
中車が伴蔵に挑戦。
陰影深い人間を演じたらピカ一の俳優・香川照之が、
歌舞伎役者・市川中車としてどこまで伴蔵の心の闇に迫れるか、
近年めきめきと歌舞伎の水になじんできた中車の伴蔵に期待です。
猿之助がどんな圓朝を演じるか、それも興味津々。

詳しい配役やあらすじなどはこちらをどうぞ。

千葉県柏市にある映画館「MOVIX柏の葉」で、
シネマ歌舞伎「春興鏡獅子」の上映前解説をすることになりました。
中村勘三郎さんがとても大事にしていた演目です。
歌舞伎の中でも舞踊が中心となる作品は
狂言(物語)より場面の状況やストーリーがつかみにくく、
ビギナーにはちょっと手ごわい存在であり。敬遠されがち。
でも本当はみどころがぎゅっとつまっているんですよ!
だからこそ、
「シネマ歌舞伎」はいい入り口となるはずです。
お近くの方は、ぜひいらしてくださいね。
料金は解説なしと同じです!

詳しくはこちらのページまで。

昨日は一人の役者が複数の人物を演じている、という話をしました。

仁左衛門は「花見」で秋月大学、「詮議」「広間・合腹」で園部兵衛、
菊五郎は「花見」が奴妻平で「詮議」は葛城民部です。

逆に薄雪姫の役は、3人が務めます。
「花見」が中村梅枝、「詮議」が中村児太郎、
「広間・合腹」と「正宗内」が中村米吉です。

お寺参詣で左衛門に一目惚れしてしまった薄雪姫は、
文を渡したり、屋敷に忍んできてと頼んだり、
お姫様ながら積極的です。
その「積極的」な気持ちと、
だからこそ大好きな人と家族を窮地に立たせてしまった申し訳なさと、
ああ、こんなイノセントなお姫さまがズンズンアタックしてきたら、
オトコ、ひとたまりもないなー、っていう説得力が
すべて揃っていたのは米吉だったと思います。

梅枝はお姫様らしくはありましたが、
肝心の付け文のあたりがちょっと弱かった。
そんなに好きなの?っていうところが伝わってきませんでした。

児太郎も、
自分の書いた付け文にある「刀」の絵の下に「心」で「忍ぶ」の判じ物が
献上の刀にやすりを入れての調伏をするという謀反の証拠にされている、
とわかったときの驚きや怖ろしさが見えませんでした。

米吉は
「正式な嫁でもないのにこんなにやさしくしてもらって心苦しい」
「ああ、全部私が悪いのにごめんなさいごめんなさい」の気持ちが
さして見せ場があるわけではないのに全身から発せられるのがわかりました。
それでいて、
「やっぱり一人じゃ逃げたくない、あの人と一緒がいい」っていうワガママ娘で、
そういう愚かなところがあるからこそ、
「忍んできてね」と言っちゃったんだろう、と納得してしまいました。

米吉なら「花見」や「詮議」の薄雪姫をどう演じたか、
他の二人には気の毒ですが、見てみたいと思いました。

今月は「新薄雪物語」が、昼夜に分けて通しで上演されています。
今回、この公演で何がすごいって、
尾上菊五郎、松本幸四郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、と
それぞれ音羽屋、高麗屋、播磨屋、松嶋屋と
それぞれのトップが同じ舞台で共演することです。

「それってそんなにすごいことなの?」…と思われるかもしれません。

歌舞伎公演というのは、
基本的に座頭(ざがしら)が主役と演出を兼ねる興行ですので、
音羽屋であれば菊五郎が主役、
高麗屋であれば幸四郎が主役、・・・というふうにして、
一門傘下の役者が脇を固めるというのが通常の興行となります。

もちろん、そこにほかの一門の人も出演しますが、
それは「ゲスト出演」的な位置づけになります。

これに対し、
たくさんの「座頭」級の人が一堂に会する興行を
「顔見世(かおみせ)」といいます。
「オールスターキャスト」という意味ですね。

それぞれが常に主役を張る役者で、一門を背負っての登場ですから、
役を振るのは大変。
そのため「顔見世興行」と銘打っても、
演目ごとにそれぞれが主役を務め
一つの演目で一緒に登場することを避けることさえあります。

だから今回昼の「詮議」のように、
菊五郎、幸四郎、仁左衛門が同じ演目の同じ場面に登場して、
それぞれが持ち味と実力を発揮し、
場のエネルギーを高め合っていくのを見られるのは、
本当にうれしい限りです。

地位もあり、賢明な二人の武士が、
政敵によって無実の罪を着せられ、
謀反の疑いをかけられたとわかったその瞬間に
「これはもう逃げられない!」と覚悟する。

幸崎伊賀守(幸四郎)と園部兵衛(仁左衛門)の
その瞬間の表情をぜひ見逃さないでください。

「いいがかり」のもとを与えてしまったそれぞれの娘と息子が、
「ちがう、それはちがう!」と必死で無実を言い立てて、
騒いだり嘆いたりと取り乱すのと対照的です。

へびににらまれたカエルは、のみこまれるだけ。

二人は知っているのです。
長年の務めの中で、
政局がらみの陰謀で追い落とされた人々を
いくらでも見てきたはずですから。
きっとこれまで、ちょっとした軽口を言質にとられぬよう、
細心の注意をはかって生き延びてきたことでしょう。
そうやって、
欲望と陰謀がうずまく政治の世界で
自らの信念をできるだけ曲げぬよう努めてきたのに・・・。

二人はそれぞれ、ほぼ同時に、
「ああ!」とすべてを見通すのでした。

そして、無言のうちに頭の中はフル回転。
こうなってしまった以上、
自分たちはこの後どうすればよいか、
子どもは、妻は、家は、そして相手は???

分別あり、良心あり、思いやりあり、信念あり。
この二人が何を考え、いかに身を処し、愛する者をいかに守るのか、
それが、「広間」「合腹」へと続き、明らかになるのです。

また、
この両家に対し裁断を下す立場になった葛城民部が菊五郎。
民部もまた、
誰が陰謀の主かに気づきながらも、
証拠のないことを言いたてることがいかに危険かを熟知していますから、
今自分が「裁断」できる立場であることを最大に生かし、
無実の両家にとって今考えられるもっともよい方法を考え出します。
「公平」な態度を崩さない中で、
「威厳」をもって悪に引きずられぬよう場を制する。
民部の包容力が輝いていました。

世の裁判官は、この場面を10回くらい見て、
正義とは何か、自分の役割は何か、必死で考えてほしいと思います。

この場面、
ただ一人「悪役」として出てくるのが秋月大学役の坂東彦三郎。
大きいです。
大学は「悪の親分」である秋月大膳の息子なので、
最後は民部に言い負けてしまう程度の悪ではあるのですが、
それにしても彼が小物すぎると、話の深刻さが出てこない。
いいもん3人に対し悪者1人でありながら、
すばらしいバランスで場を形成してくれました。

それは
4人が4人とも、
「座っているだけで」力があったということです。
目をつぶり、じっとしている。
でも、ちょっとした表情の変化がある。
ほとんど「筋肉の緩み」と「戻り」だけなのに、そこに感情がうまれる。

バレエでも、
プリマは立っているだけでプリマでなければならないと言います。
まさにそんな感じですね。
たたずまいが、すでにお役を表しているのです。

その上で、ここぞというセリフは、
呟くような小声から劇場をとどろかす大声まで、自在。
「表向き」のコトバと、
そこに込められた「本当の心情」とが、同時に響いてくる。
至芸です。

この場で「いいもん」の1人・園部兵衛を演じた仁左衛門は、
その前の「花見」の場面では
大悪人の秋月大学を演じています。
その「花見」で薄雪姫を演じたのは中村梅枝ですが、
「詮議」では中村児太郎、続く「合腹」では中村米吉。

途中で役者が変わる役、変わらない役、いろいろあって、
初めて歌舞伎をご覧になる方は戸惑われるかもしれません。
でも、
仁左衛門が悪役のときは悪役の顔を、
いいもんのときはいいもんの顔をしているのを見れば、

役者が同じだろうが別だろうが、そんなことは関係ない、
その「役」になりきった「役者」がいる、
それだけで、芝居は楽しめるんだということを
きっと納得していただけると思います。

薄雪三人娘については、また明日!

とにかく「詮議」「合腹」は必見です。
昼と夜に別れているので、どちらか一方のチケットしか持っていない方、
どちらかしか行けないという方、
可能であれば、行けないほうも、幕見されることをおすすめします。

6/5(金)、「三人吉三(さんにんきちさ)」についての講座が無事終了しました。
ちょうど今月末からシネマ歌舞伎でコクーン歌舞伎の「三人吉三」が上映されますので、
それに合わせてのご案内となりました。

コクーン歌舞伎での「三人吉三」は初演が2001年、再演が2007年、
そして中村勘三郎さんの死を乗り越えて、
2014年、見事に次世代への継承が行われ、
再再演を成功させています。

なぜコクーン歌舞伎の「三人吉三」が私たちにリアルに迫るのか、
河竹黙阿弥が最初に書いた7幕ものの「三人吉三廓初賈(くるわのはつかい)」、
40年後の所演となる、5幕もの短縮版の「三人吉三巴白波(ともえのしらなみ)」と
比較しながら、
ストーリー性やボーダレスの力、コンセプトの重要性などについてお話ししました。

もちろん、「女性の視点」で読み直しますから、
これだけでは終わりません!

双子の兄妹で愛し合ってしまったとは知らずに死んでいった
おとせの日常と求めた幸せについても皆で考えました。

7月から、7期目も開催します!

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