仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

2015年03月

三月花形歌舞伎、夜の部の最初は
「弁天娘女男白浪(べんてんむすめ・おめのしらなみ)」
いわゆる「白浪五人男」です。

このお話は本来長いストーリーですが、
通しで演じられることはほとんどなく、
大体「浜松屋見世先」と「稲瀬川勢揃い」の2場面が演じられます。
こうした「部分的に上演する」形態を「見取り狂言」(みどりきょうげん)といいます。

まずは、前半、
イケメン泥棒・弁天小僧菊之助が娘姿に化け、仲間の南郷力丸も連れに扮し、
2人で呉服屋(浜松屋)に乗り込みます。

いいとこのお嬢さんが品定めをしている風を装い、
万引きしたように見せかけてわざと捕まり、
いわゆる「誤認逮捕」でどうしてくれる、とねじこんで、
評判を気にする大店から金をせしめようとするのです。

ところが店の奥から出てきた男から「お前は男だ」と見破られ、
観念して「そうだよ、男だよ! 泥棒だよ!」と開き直ります。
そして「なに、あんたがた、おれっちのこと知らないの?」とばかりに
「知らざあ言ってきかせやしょう!」
と自分の生い立ちや何で泥棒になったかをつらつら語るところが
河竹黙阿弥らしい七五調の名調子で、
聞かせどころとなっています。

後半の「稲瀬川勢揃い」は、
泥棒集団が追いつめられて、稲瀬川の川べりで捕り物が行われる、
という段ですが、
5人が揃いの傘を掲げて居並ぶところが非常に有名。
出は花道で5人並び、次に舞台に上がって、また並びます。

ここでも
「問われて名乗るのもおこがましいが」から始まる長台詞が聞きどころで、
5人それぞれが名を名乗り、ルーツを披露します。

こうした名乗りはおそらく
「やあやあ我こそは・・・」と名乗ってから戦う鎌倉武士あたりがルーツかと思いますが、
今もいわゆる「戦隊もの」の5人の名乗りにまで伝えられる
いわば日本の「闘う男」に欠かせない、伝統儀式(!)であります。

花道にいい男がずらっと並ぶ、ここはハイライトなので、
見逃したくない人は、花道が奥のほうまで見える席へ!
1階は問題ありませんけれど、
2階3階は見えにくいので要注意。
特に西側(下手、花道に近いほう)の2階、3階はまったく見えない可能性が高いので、
チケットの場所には本当に気をつけてください。

あと
歌舞伎に「実は」はつきもので、
弁天小僧は「実は」男、ですが、もう一つ、
弁天小僧を男だと見破る男も、
「実は」弁天小僧の仲間の「日本駄右衛門」なのです。
二重三重に店をだまし、
駄右衛門も謝礼をもらってみんなで山分け、
という、綿密に練られた大がかりなサギ!

いわば、
最初にオレオレ詐欺の電話をかけ、
次に「警察です。今、変な電話がありませんでしたか?」と
味方を装い安心させるような電話をかける手口ですね。

でも最初に申し上げたとおり、これは「見取り狂言」
全体の物語を通しではやらず、
全5回シリーズの連続ドラマを、
「いきなり最終回」あるいは
視聴率の高かった回だけ再放送するみたいなものなので、
再放送しない回に明らかになる関係が飛ばされます。

だから、
こうした伏線がつながっていないことがあります。
さっき、「お前男だろ」といって鬼の首とったようにしていた男が、
次に幕があがると
「問われて名乗るもおこがましいが・・・」って、
なんか泥棒たちと一緒に並んでいるよっていうフシギ。

なぜ「五人男」の中に
弁天小僧と南郷力丸のほかに日本駄右衛門も並ぶのか、
「?」マークが飛び交って舞台に集中できないことも。

でも、
そんな「なんで?」も含めて、
新しいものとの出会いは新鮮な刺激のはず。

こういうのを「理不尽」と斬って捨てては
歌舞伎はなかなか楽しめない。
何度も観ているうちに分かってくるし、
筋書(プログラム)も売っているし、
だまされたくない人は最初にストーリーを調べておいてくださいね。
(このブログもぜひ参考に!)

でも、
浜松屋の商人と同じく騙されてみるのも悪くない。
それが楽しいっていう考え方もあります。
あとから「そうか、そうだったのか」と思うのも
歌舞伎体験の一つと思ってください。
何事も「初めての体験」は1回限り。
フシギワールドに迷い込んで、登場人物と同じ目線で、
思いっきりジェットコースターストーリーに身を任せる…。
これ、エンタメの基本かもしれません。

さて、レビューに入ります。

今回の公演で一番期待していた「白浪五人男」でしたが、
弁天小僧菊之助を演じる尾上松也の声の調子が悪く、
そのために全体の印象がざらついてしまいました。

ただ、平成中村座で中村七之助が弁天小僧をやったときも、
かなり声がつぶれてしまっていました。
それだけ、同じ舞台で女と男を演じ分けるのは難しいということでしょうか。
松也は立ち役(男役)も女方もやる役者なので、
単体でやることは慣れているはずですから。

それにしても、
有名な演目というのは、ライバルが大先輩なので大変。
そして観客にとっても、
これまでベテランが当たり前のように演じているちょっとした仕草や間合いが
いかに積み重ねられた経験によって磨かれた技なのかを痛感する機会となります。

見え透いたこすっからいサギを働いて、
そのあとも開き直って金をせびり
その金の分け前をよこすのよこさないのといいながら去っていく、
そんな小悪党たちを主役にして、
その主役に観客を感情移入させるには、
「技」が要るのです。
その「技」が、松也や巳之助にはまだ備わっていなかった。

前述の七之助は、公演終盤で、見違えるほど素晴らしい演技を獲得しています。

そのときのレビューはこちら

松也も、1か月の公演の中で、自分の弁天小僧を見つけてもらいたいと思います。

三月花形歌舞伎についての詳細はこちらをご覧ください。

京都南座で公演中の三月花形歌舞伎に行ってまいりました。

何回かに分けてレビューを掲載いたします。
まずは昼の部冒頭の「矢の根」から。

これは市川團十郎歌舞伎十八番の1つです。
歌舞伎十八番の演目を、
市川團十郎家(=成田屋)以外の役者が演じるときは、
必ず成田屋さんのところに許可を得に行くしきたりとなっています。

「矢の根」は典型的な荒事(あらごと)です。
歌舞伎といえばあれ、という、赤い隈取(筋隈)。
かつらはドレッドヘアの各ドレッドをそれぞれ固めて立たせたような「車鬢(くるまびん)」。
そう、
今「スズキの軽」のCMに市川猿之助が荒事スタイルで出ていますが、
まさにあんな恰好です。

ビジュアルをイメージしていただいたところで、
もう一つ、
主人公の「曽我五郎」は、あの作品にもこの作品にも出てくる有名人!
富士の裾野で仇討をした曽我兄弟の弟のほうで、
喧嘩っ早く、乱暴、でも早くに親を亡くした悲しみがあって、
やんちゃで子供じみているが、
一方でまっすぐなところもあり、憎めないというのがキャラクターです。
スサノオ的、といえるかもしれません。

それにひきかえ兄の十郎は、
女方が務めることの多い、分別はあるけれどちょっとなよっとした男性。
あまり目立たないけど、世の中や分別をよく理解して、
結局次男の粗相をあやまったり尻拭いしたりする。
「お兄ちゃんはいつも優しいね」みたいな役回りです。
長男が優等生タイプ、次男は自由奔放、いたずらっ子だけど人気者、というのは、
いまも「あるある」の設定で、共感する人、多いのではないでしょうか。

ちょっと乱暴なたとえですが、
刑事ドラマ「相棒」の右京さん(水谷豊)が十郎で、
亀山さん(寺脇康文)が五郎、みたいな感じ。

そんなイメージで、
「矢の根」そのもののストーリーを見てみましょう。

ストーリーといっても、荒事の典型なので、筋は簡単です。

まず「曽我兄弟」が出る話は、必ずどこかで「敵討ち」がからみます。
これ、お約束。その上で…。

「矢の根」はお正月にちなんだお話です。

五郎はお年賀訪問を受け、「七福神」の絵をもらいます。
いい初夢を見ようと縁起のよいその絵を枕の下に敷いて寝ると、
兄の十郎が夢枕に立ち、
「敵の工藤佑経の館に捕えられているから救いにきて」と言って消えます。
目覚めた五郎、兄の一大事!とばかりに家を出ようとすると、
そこに大根を積んだ馬が通る。

亀山刑事が通りすがりの一般人のバイクをつかまえ、
それに乗って、逃走中の犯人を追う、みたいな感じで、
五郎は馬の背の大根をバサッと切って落とし、自分が乗ってしまいます。
馬士はもちろん大迷惑ですが、
五郎は「乱暴者だけど憎めない」キャラだから、観客も
「かーめーやーまー!」もとい「あーあ、ゴローちゃん、またー」と、
ここは眉をひそめず笑って楽しむところ。
五郎は馬に乗って花道を去っていきます。

この「馬に乗って去っていく」ところ、歌昇が本当に立派で、
きびきびとしてスピーディー。
馬の脚を演じた2人は大変だったと思いますが、
3人のチームワークがよく、本物のような動きでした。

荒事は無邪気な子どもの心で演じよ、と言います。
子ども=「無邪気」=邪気がない=神聖な存在で、
江戸の守り神としての成田屋が、「邪気を払う」のです。
乱暴なことが、ここでは逆に、「正義の味方」としての力になります。

歌昇の五郎は筋隈美しく、声は轟き演技が大きく
そうした「無邪気さ」と「恐ろしさ」を併せ持って
素晴らしかったと思います。

思わず、團十郎さんの舞台を思い出しました。

今回南座で一番の出来だと思います。

公演の詳細はこちらからどうぞ。

昨日に続いて、
夜の部の「寺子屋」のレビューを書きたいのですが、
今日はその前に、
私が歌舞伎を見始めたときの率直な疑問について書きます。


「寺子屋」は
「菅原伝授手習鑑」という、いわば大河ドラマ、連続ドラマの中でも
非常に人気のある場面です。
でも「寺子屋」って江戸時代の塾のことですよね。

菅原道真は平安時代の人なのに、
なぜに「寺子屋」??



歌舞伎ビギナーズにはまず理解不能です。
私がそうでした。
越えねばならぬ、第一ハードル。

こういう時代考証無視の作品、実は歌舞伎に多いんです。
でも今はもう慣れました(笑)。っていうか、
そういうシステムだということをわかれば何の問題もありません。

ちょっと説明しますね。

まず、
歌舞伎では「時代物」「世話物」という区別があって、
「時代物」というのは、私たちが今「時代劇」といっているものです。
江戸時代の人にとって、
「時代劇」は、平安時代だったり、室町時代だったり、戦国時代だったりします。
そして
「世話物」というのが、江戸時代の「現代劇」で、
江戸時代の風物、とくに商人、町人の生活が色濃く描かれます。
というのも、江戸時代、今の政治のことを描くのはご法度。
だから「現代劇」はホームドラマや恋愛ドラマに限られました。

今回歌舞伎座で上演されている「菅原伝授手習鑑」は時代物
江戸時代の時代劇です。

そして「時代物」の多くに、
「時代世話」という場面が挿入されています。
これは何かといいますと、
すごーーーーくひらたくいえば、
「時代劇の一部分を現代的にしたもの」

え?
そんなことできるの?
・・・とお思いかもしれません。
でもけっこう、私たちもやってるんです。

たとえば「必殺!仕掛人」シリーズ
時代劇に現代性を入れ込んだものとしては草分けではないでしょうか。

「ムコ殿!」で有名な、中村主水の家庭内でのやりとりは、
「時代劇」というよりホームドラマです。

「時代劇」は、
今と異なる空間を楽しむものでありながら、
やはりどこかで自分と共通のものを探して共感できなければ
「面白い」とは感じられません。

だから制作側は
「昔の話を昔のままにやるとわかりにくいので、
 今の人がすぐにピンとくるように、何か工夫が必要だ」と
学園ドラマやホームドラマっぽくしてみたり、
テーマも、
歴史的事実がどうのこうのより、
公金横領とか、保険金殺人とか、
そのときの大事件を時代劇にアレンジしたりして
身近に感じてもらおうとする。

人気のある時代劇というのは、
少なからず「現代」の空気を含んでいるものなのです。

そういう工夫の一つとして、
歌舞伎や人形浄瑠璃では
より身近に感じられ、登場人物の立場や心情がつかみやすいように
風俗を現代的、つまり江戸時代的にしている、と考えてください。

たしかに時代考証デタラメです。

昼の部でも、
菅原道真は平安時代の恰好(直衣直垂)でいるのに、
「道明寺」に出てくる道真のお母さんは
どう見ても江戸時代の衣裳。・・・・でも・・・・


「いいんです!」


いいんです、そんなことは。
フィクションですから。つくりものですから。
泣ければ。楽しければ。わかりやすければ。

それに先ほど述べましたが、
ダイレクトに社会批判ができないくくりの中、
作者たちは「時代劇」の枠(世界、といいます)を借りて、
今そこにある問題を、たくみに描いてみせたのです。
すごいでしょ?

「でもさー、急に衣裳変わったり、時代が飛んだり、
 かえって複雑になって、ついていけなくない?」

・・・と今つぶやいたアナタ!

同じこと、
現代でもけっこうしてません?

織田信長が
東京ガスのCM「ガス・パッ・チョ」で箪笥から出てきたり、
お茶が飲みたくなって「利休も呼んじゃった!」とか。

トヨタのCMでは車で高速を走っていたり、
さっき武将姿だったと思ったら、今度は洋服だったり。

桃太郎と金太郎と浦島太郎が友達で、
浦島太郎が玉手箱あけたら携帯出てきたり、

皆楽しいでしょ?
わかりやすいでしょ?

江戸の人たちも、そういう楽しみ方をしていた、ということです。

キャラクターからかけ離れていなければ、
(役の性根がおさえられていれば)
よいアレンジはオリジナリティとして評価され、
人気も出て再演が重ねられ、
そして古典になっていって今に至ります。

冒頭に申しあげたように、
「寺子屋」はとても人気のある作品。
上にいろいろ書きましたが、
この「寺子屋」の段だけで、
非常に密度の濃いサスペンスドラマになっています。
(衣裳的にも、ほぼ全部江戸時代ですし、
 菅丞相は出てこないし、
 いわゆる「時代劇」として普通に楽しめます)

火曜サスペンス風に言えば
「京都殺人案内・山間の塾殺人事件~元エリート校教師、新入生を殺す」
みたいなお話です。

夫婦で殺人計画を練る場面の緊張、
その後のどんでん返し、
見どころ満載です。

とても面白かったので、ぜひご覧ください!
オススメ!
レビューを明日書こう、と思ったのですが、
これは昼の「筆法伝授」を先に書かないと。
せっかくの通し狂言なんで・・・。

(だから昼を先に観なくちゃいけないのに、すみません)

レビューのほうは下旬になります。

通し狂言なので、本当は一日で、
昼夜別に観るとすれば昼→夜の順番での観劇を、と、
皆さんに勧めている当の本人の私が、
時間の都合で夜の部を先に観ることと相成りました。

(但し、私は昼の作品「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」ともに観たことがありますし、
 全段を通しでやった花組芝居の舞台も観て、
 全段を詳しく解説した本も読んではいますので、
 どうお話がつながるのかは知ってのことですが)

夜の部、一言でいって、オススメです!

まずは「賀の祝」から。

「賀の祝」は、
父親の七十の祝に松王丸、梅王丸、桜丸の、
三つ子とその妻が集まるという設定で始まる話です。

最初は、松王丸と梅王丸が
大人のくせに子どもっぽい兄弟げんかをしたり、
それぞれの妻が夫自慢をしたりと、
笑いが絶えないのですが、
後半は、
桜丸切腹という非常に重い展開となります。

桜丸(尾上菊之助)の若妻・八重を演じる中村梅枝が
若さ、美しさ、演技の深さを揃え、絶品です。

歌舞伎はデフォルメの芸術ですから、
「よよよ」と泣き伏す場面や
切腹を何度も遮ろうとする動作は、
ややもするとおおげさだったり、
単なるお約束に見えてしまうときがあります。

ところが梅枝の八重は、
ひとつひとつの所作が古典的でありながら、
愛する人を死なせたくない思いが
現代を生きる私たちにストレートに届く!

八重という若い女性の心をしっかりとつかみ、
さながら文楽人形に魂が乗り移ったかのようでした。

もちろん、
菊之助の桜丸もこれ以上ない美しさ!
伏し目がちでほとんど表情をくずさない中、
最後の最後に父・白大夫を見上げる瞳の切なさよ!

静かな語り口ですが、うるおいと気品あふれる声は
劇場の隅々にまで染みわたります。

白大夫の市川左團次、
念仏を唱える声に親の愛がつまっていて
思わず涙。

本当に素晴らしいです。
ぜひともご覧ください。









国立劇場大劇場では、
中村橋之助が初役で「髪結新三」(かみゆい・しんざ)を上演します。

橋之助が新三初役ならば、
錦之助も初役、国生も初役。
その意気込みを
以下の会見でうかがい知ることができます。

http://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/26/4178.html

奇しくも、
急逝した三津五郎に習ったという「髪結新三」。
2013年、八月納涼歌舞伎で観た三津五郎の新三は、
単にチンピラ的な威勢の良さだけでなく、くぐもったようなダークな面が覗いて、
「帳場を捨てれば五分と五分」と、
思いのたけを本音でぶちまけるくだりは
江戸の裏町に生きる者の憤懣とやるせなさが心に迫りました。

きっと橋之助も、
キップのいい新三を見せてくれるのではないでしょうか。

手下の勝奴には息子の国生。
もうそんな役をやるようになったのですね。
勝奴を演じながら、身近に新三を学ぶ。
勝奴とは、そういう役でもあります。

進境著しい児太郎が新三に誘拐されるお熊。
「ザ・交渉人」としてお熊救出に乗り込むも、
新三に顔をつぶされてしまう弥太五郎親分は錦之助。
どちらかというと二枚目で線が細い役の多い錦之助が
太い役をどうこなすか、期待です。

ほかに「三人形(みつにんぎょう)」。
若衆に錦之助、傾城が児太郎、国生が奴の役での舞踊です。

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