仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

2015年02月

十代目坂東三津五郎さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
あまりのことに、言葉もありません。
膵臓がんで闘病されていたことはもちろん知っていましたが、
それほど悪くなっていたとはまったく思っておりませんでした。

事実、テレビなどで拝見する限り、
多少お顔の色が優れないくらいで、非常に活発でいらっしゃる。
今年に入ってからのインフルエンザが肺炎を併発させ、
がんが肺に転移していたためそこからが早かったようです。
とはいえ、
おそらく人前では弱音を吐かず、
淡々と過ごされる方だったとご推察します。
そういう美学の持ち主だったのではないでしょうか。

本日の昼に、長男の巳之助さんが会見に応じていました。
巳之助さんも非常にしっかりとした受け答えで、
なんのゆかりもない私などがうろたえていてはいけないと思いつつ、
まだ気持ちの整理ができておりません。

インタビューをさせていただくため、
青山のお宅にうかがったのは、2011年のことでした。
2011年は、御園座で團十郎さんのインタビューもさせていただいています。
あのとき、お元気だったお二人はもういない・・・。
この世の中は、なんてむごく、理不尽なんでしょう。

勘三郎さんが「何で来るんだよ!」って怒ってますよ。
怒りながら、泣きながら、2人で抱き合っているのではないでしょうか。

衝撃からまる一日、
ようやくご冥福を祈るところまで気持ちが落ち着いてきました。
どうぞ安らかに。
これからの歌舞伎界に、天上から力をお貸しください。

(2/24追記)
2/24(火)、テレビ朝日でお昼12時から、「徹子の部屋」で
三津五郎さんの追悼番組を放送するそうです。
お元気だったころの三津五郎さんの回が放送されることと思います。
http://news.ameba.jp/20150223-546/

今月の歌舞伎座では、
夜の部最初の「一谷嫩軍記~陣門・組討」が素晴らしい!
ぜひご覧になっていただきたいです。

「いちのたに・ふたばぐんき」って何?

みなさんの中には中学校の国語の時間、
「平家物語」の「熊谷直実」の段(「敦盛最期」)、
やった人いるのではないでしょうか。

美しい鎧兜の武者と波打ち際で一騎打ちして、
捕えてみれば自分の息子と同じくらいの若武者、
「あなた一人がどうなろうと源氏が勝つ流れはとまらない」
と、わざと逃がそうとするのですが、
高貴な若者は逆に
「だからこそ、これから逃げ回って山賊のような者に殺されるくらいなら
(礼節をわきまえたきちんとした武士である)あなたに首討たれたい」
と言って、そこを動きません。
そうこうするうち源氏側の追手が迫ってきます。
直実は断腸の思いで若武者の首を討つ、という
「平家物語」でも白眉とされる1節の一つです。

このお話をもっとふくらませて長編の歌舞伎にしたのが
「一谷嫩軍記(いちのたに・ふたば・ぐんき)」です。

その長いストーリーの中で
直接上記の部分にあたるのが「組討(くみうち)」

平家物語に描かれた通りの恰好をして、
白い馬(正確には連銭葦毛〈れんぜんあしげ〉)に乗って現れる
平敦盛(たいらのあつもり・尾上菊之助)の武者姿が
本当に絵巻物から抜け出たようで気品と美しさに溢れています。

敦盛

           日本の古典7「平家物語」(世界文化社)函表より

           (一の谷合戦図屏風 敦盛 埼玉県立博物館蔵)


一方の直実は黒い馬に紫の母衣(ほろ)。
青い海をバックにした色の好対照が物語にコントラストを増幅。
波打ち際での馬上の合戦では、
遠近法をうまくつかって子役二人で演じさせる手法。
通常の演出方法ですが、
決して「可愛い」で済まされぬ気迫のこもった殺陣で見せ、
大人二人の演技の続きとしての流れを絶やしません。

そして、何より吉右衛門です。
直実に扮する中村吉右衛門が
武士の勇猛さ、礼節、そして優しさを渾身で体現、
「これぞ歌舞伎!」という凝縮された演技を見せてくれます。

劇場は水を打ったような静寂の中、
首のない死体(菊之助)と、
敦盛を探す途中で深手を追い、息絶えた敦盛の恋人・
玉織姫(芝雀)を同じ板に乗せて海に流してやるなど、
ゆっくりと、無言で舞台を動く直実の一徒手一投足を
ただただじっと見守るだけ。

連戦練磨の手練れの武将であっても、
まだ人生はこれから、という若者を死なせることは
本当につらいこと。

この「一谷嫩軍記」は平家物語の記述を越えて、
この後もお話は続きます。
敦盛の首を持って義経に見せるという「熊谷陣屋」の段。
ここのほうが「組討」よりよく上演されるし、
シネマ歌舞伎にもなっているので、
ご存知の方も多いかもしれませんが、
直実は単に「息子と同じくらいの若者を殺した」以上の苦しみを背負っています。

そのことは、
「組討」の段だけを観ている間はわかりません。
でも、
愛馬にだけ無言で明かす溢れる涙に、胸がつまります。
歌舞伎の中で、馬は2人の人が中に入って演じますが、
本物の馬かと思うほどリアルな演技をします。
ここも見どころの一つです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今週末からクリント・イーストウッド監督の映画
「アメリカン・スナイパー」が公開されますが、
これは、イラク戦争などで160人を殺害した
名うてのスナイパーが主人公。
帰還後、PTSDに苦しみます。

ちょうど今、テレビで予告編が流れていますね。
幼い男の子が武器を担ごうとする。
その子に照準を合わせながら、
「(武器を)持つな、持つな、持たないでくれ!」と願うスナイパー。

こちらの予告編も、胸がつまります。

https://www.youtube.com/watch?v=Av1UW0myxiA

戦争とは、
人の持つ優しさを、当たりまえの情愛を、人間性を
なんと残酷に踏みにじることでしょう。
自分にも、敵にも、
家族がいて、愛する人がいて、
人を傷つけず、幸せに暮らしたいのに…。

それは1000年前も、今も、変わらない心なのです。

幕見で観れば1500円。
吉右衛門丈、体力的なこともあり「これが最後と思って」とおっしゃっています。
16:30~17:55。
時間が合う方は絶対見たほうがいいと思います。
歴女の方は、必見。

お時間があれば、夜の部は通しでどうぞ。
続く「神田祭」は、重苦しい雰囲気を一発で消してくれますし、
「筆屋幸兵衛」は、明治初期が舞台で、
歌舞伎というより新劇に近い。
主役の松本幸四郎の狂気の演技が最高です。
中村児太郎のお雪も、他の演目での華やかな芸者や傾城とは一変、
オーラを消し尽くしての薄幸度200%のリアルさに拍手です。

歌舞伎座公演の詳細はこちら

誰かについて記事を書く場合、
一般的には
「博士」とか「社長」とか肩書きがあると、それを使い、
あとは大体「氏」をつけます。

ただ、俳優やタレント、歌手などは
記事の中でも呼び捨てのことが多いです。

ファンは
「みぽりん」とか「やまぴー」とか「タッキー」とか、
愛称をつけ、「呼び捨て」を避けようとします。
もちろん「ヤザワ」「キヨシロー」「タクロー」など
敢えて呼び捨てにすることで信奉の強さを示すこともありますけどね。

歌舞伎俳優の場合も、
圧倒的に呼び捨てのときが多いですが、
親しみをこめて「さん」づけしたり、
若い人にだと「クン」づけだったり、
ファンは
自分の気持ちを呼び方で表します。

関西の中村鴈治郎さんのことは「がんじろはん」、
今の四代目市川猿之助は
市川亀治郎時代、「亀ちゃん」と呼ばれていました。
市川染五郎さんもすでに40代ですが、
昔からのファンは「染ちゃん」です。
最近では「松也クン」が定着しつつありますね。

でも、
もう少し敬意を払って話題にしたいとき、
あらたまった文章中で「さん」はおかしいが、
だからといって呼び捨てはしたくないとき、
「丈」をよく使います。

「丈」は、歌舞伎俳優に限った敬称ではありませんが、
特に歌舞伎では、
男性かつ女方とか、一般の敬称を使うことを戸惑う場合もあり、
そこがしっくりいくのかもしれません。

相撲の行司(木村庄之助、式守伊之助など)にも
敬称には「丈」をつけるとのことです。

代々引き継がれてきた名前というところが共通点でしょうか。

歌舞伎で襲名するということは、
名前を受け継ぐだけでなく、
その芸風も受け継ぐという意味合いがあります。
名に恥じぬよう、
その名にふさわしく、というふうに、
皆さんとても襲名を大切にしています。

でもファンとしては、
自分が慣れ親しんだ名前に別れを告げることに
一抹の寂しさがあることも事実。
もちろん、
大名跡を襲名することの晴れがましさを
うれしく誇らしく思ってはいるんですけどね。

今の松本幸四郎さんを
いまだに「染五郎さん」と呼んでしまう、という方もおられます。
「勘九郎さん」というと、
亡くなった勘三郎さんのことを思い出す方もいらっしゃいます。
「四代目市川猿之助」を襲名した今でも、
思わず「亀ちゃん」と呼んでしまうファンは多いです。

それは、悪いことではない、と私は思っています。
誰かのファンになったからこそ歌舞伎が好きになった。
自分の情熱の記憶が、そのときの「名前」に結晶している。
セイシュンの勲章です。

この感覚は、
ファンだけではないはず。
猿之助さんも、襲名直前まで
「ずっと亀治郎でいたい」と言っていたくらいですから。

それでも、
襲名は役者としてもう一回り大きくなるチャンスです。
一人の人間の中二つの名前が融合していくさまを見る。
人間の名前と身体を通して歴史の厚みを実感できるのは
歌舞伎を観る上での醍醐味の一つです。

それから…。

一般の人名の場合、最初にフルネームを紹介した後は、
「中村さんは、」「市川さんは」と、姓で呼ぶことが多いですが、
歌舞伎でそれをやってしまうと
中村さんとか市川さんとか坂東さんだらけになってしまって、
ちょっと間が抜けてしまいますね。
だから
「勘九郎さん」「海老蔵さん」「玉三郎さん」というふうに、
名前のほうで呼びます。

でも「さん」ではくだけすぎるな~、という場合、
といって呼び捨てではきつくなるな~、という場合、
そのときこそ、「丈」の出番です!

ちょこっと覚えておくと、便利ですよ。

1月の松竹座昼の部で上演された「天衣粉上野初花~河内山」
河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の作品で、
「てんにまごう・うえのの・はつはな~こうちやま」と読みます。

今回は、主人公の河内山宗俊(そうしゅん)が片岡仁左衛門でした。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/2015/01/_1.html

実は私、この「河内山」というお芝居、
以前はどちらかというと、苦手な部類でした。

やくざまがいの坊主が
偉いお坊さんに化けて大名の御屋敷に乗り込んで、
大名脅して、腰元を助けて、
でも帰り際に正体がばれてしまう。
すると「おれは河内山宗俊、やせても枯れても直参だ!」とか言って開き直り、
自分のことも、企みのことも、全部白状するのにそのまま帰れて、
最後っ屁のように「馬っ鹿めェ~!」と悪態ついて去っていくという…。

これのどこに感情移入しろと??

ところが最近になって目からウロコというか、
今までとまったく違う印象を持つようになりました。

御数寄屋(おすきや)坊主という直参扱いの茶坊主・河内山が
その立場をかさに質屋に難癖つけ、
古い木刀をカタに50両貸せとまくしたてるのが冒頭の「質店(しちみせ)」。

ここで店の娘が奉公先の大名屋敷で主人の妾になれといわれ、
婚約してるからと断ると押しこめられて命も危ないことを知る。
こりゃ木刀よりもカネになる、と、娘を助ける約束をする河内山。
手付100両、成功報酬100両で、請け負ったものの、
実は大した計画も、見通しもない。
しかし、はたと思いついて高僧に化け、大名屋敷に乗り込んでいく、というわけ。

ここで私は
「小悪人」の河内山が、庶民のために「巨悪」の大名に斬り込む話なんだと納得。
つまり、
河内山宗俊ってルパン三世なんだ~!

そう考えると、悪人なのに憎めないキャラであることも、
金目の話はないかとうろついていたら、娘さんの難儀に遭遇し、
自分の危険も顧みず娘さん救出作戦に出るところも、

腰元・浪路(質屋の娘・おふじのこと)はクラリスで、
浪路を妾にしようとしている松江出雲守カリオストロ伯爵で、
ルパンが変装したりしてカリオストロ城に侵入したように、
河内山もお屋敷に乗り込んでいったと考えればすんなり受け入れられる!

もう少しでうまくいく、と思ったところでバレそうになるところも、
そうなったら開き直って「俺の名はルパン三世!」みたいに話すところも、
バレても逃げおおせるところも、
娘救出といっても正義のため一辺倒ではなく、おカネのためであり、
巨悪からもきっちり大金せしめるところも、
最後に「あ~ばよ~!」というところも、
どこもかしこも「カリオストロの城」なのでありました。

カリオストロ伯爵、じゃなかった出雲守が
どこまでも巨大で憎々しい悪人だから、
一人で乗り込む河内山がいかにうまく計画を運べるかにスリルが。
駆け引きには「ザ・交渉人」的な緊張感があります。

時々「素」が出てしまうところを隠す可笑しみも、
ルパン三世チックなのでした。

また、
もう一つ、このご時世だからこそ胸にこたえる場面があります。

「質店」の段で
河内山が「手付100両、後金(あとがね)100両」とふっかけると、
番頭がしぶるんですよ。
「おかみさん、こんなのに100両やったらだまし取られるだけですよ、
 娘さんは帰ってきませんよ」と。

河内山は、自分には最初から関係のないヤマだから
「別に自分はいいけど、今100両のカネを出し渋って、
 この店全部を譲られる跡取り娘を死なせたときには、
 損失は100両じゃきかないんじゃないの?」と余裕しゃくしゃく。

口をとがらせて金を出させまいとする番頭を押しのけて
「あんたの店には損は出させないから」と
親戚の和泉屋清兵衛という大店の主人が
「娘さんが帰ってきたら、そのときは戻してくれればいいから」と
ポケットマネーで100両出すのです。うるうる~。

母は清兵衛に深く感謝し、その場で清兵衛に100両返します。
「十に八、九は戻らないかも」と覚悟しながらも、
藁にもすがる思いで、娘のために自ら100両出すのです。
わかる~。母親だもの~。あるおカネなら出す~。

最近の人質事件をつい連想してしまいました。
最初の身代金は20億だったのが、
どんな交渉をしたのかしなかったのか、200億となり、
最後は「カネではない」になったいきさつとかも。

巨悪を前にして、庶民は無力です。
そして、
家族を、子どもを、夫を、思う気持ちは今も昔も変わりません。

今度「河内山」を見るときには、
そんなことも考えながら観劇してみてください。

ちなみに、
ルパン三世に次元大介と石川五ェ門がいるように、
河内山宗俊には、直次郎と丑松という子分がいます。

「ルパン三世」「カリオストロの城」については、これをどうぞ。

2/6(金)、東銀座のGINZA楽学倶楽部で
「女性の視点で読み直す歌舞伎」講座の第14回
「いつまで生きても同じこと~「曽根崎心中」のお初」を開催、
無事終了しました。

お初は19歳にして、なぜ死に急いだのか。
彼女はいつの時点で死を覚悟していたのか。
「ロミオとジュリエット」や「ヴェニスの商人」など
シェイクスピア作品との類似にも触れつつ、
彼女の科白を丁寧に読み解いていきました。

また、
大ヒットしたのに、230年も上演されていなかった理由、
原作と原稿作品との違い、
常に「革新」と「大ヒット」を連れてくる、この作品の力の源、
60年、ほぼ1人でお初を演じ続ける坂田藤十郎丈の言葉、
などに触れ、
「曽根崎心中」の魅力に迫りました。

前日の雪で、交通機関の乱れなど心配しましたが、
当日は良く晴れて、ひと安心。
参加者の方々と「よかったね」と口ぐちに喜び合いました。
前日に
「講座はどうなるんですか」「雪の場合時間をずらしてもらえませんか」など
ご連絡もいただいたということで、
本当にありがたいと思います。

先月、講座で取り上げたシネマ歌舞伎「日本振袖始」を
ご覧になった方から「とても面白かった」と報告がありました。

講座についても
「お話を聞いていたので、みどころもおさえられたし、よくわかった」と
大変好評で、私もうれしかったです。

来月は3/6(金)13:30~15:30。
「封印切」についてお話しします。

↑このページのトップヘ