中村歌昇・種之助兄弟による初めての勉強会が
8/24、25に国立劇場小劇場で行われました。
演目は「毛谷村」と「船弁慶」。

「毛谷村」は歌昇が主人公の六助です。
お園は中村芝雀、微塵弾正を尾上松緑という豪華な布陣。
「船弁慶」は種之助が静御前/知盛霊で、
こちらも義経に市川染五郎を迎え、
弁慶は父・又五郎、舟長は兄・歌昇でした。

特筆は種之助の静御前で、
これまで観たどんな静とも異なる、清廉かつ瑞々しい出来。
私はこの演目を観るといつも
「恋人との別れを前に白拍子として舞うように命じられる」つまり
商売女としてしか見られていない静が哀れでならないのですが、
今回はそんなことどこかに吹っ飛んでしまうほど、
静と義経の間には熱い熱い恋人同士のきずながありました。

静には、義経しか見えない。
一瞬でも長く義経と一緒にいたい恋心、
義経の航海無事を願い、一心に舞うひたむきさ。
その情熱のほとばしりがありながら、
能舞の格調の高さを凛と保っているのです。

そうした静の心根を、染五郎の義経もしっかりと受け止め、
上に立つ者として苦渋の決断をしながらも、
「本当はお前といたいんだ!」の視線が静の瞳を指して空中を一直線!
短いセリフの中に、ドラマが感じられます。
美しく、凛々しく、心優しい義経が最高でした。

若い二人の間に割って入る弁慶ですが、又五郎の弁慶は情に厚い。
別れさせなければならない苦悩をかみ殺すところが、
「この場に悪い人などだれもいないんだな。せつないな~」を実感させます。

観る前は、静より知盛の霊のほうを期待していたのですが、
こちらは「まだまだ」。
重力を感じさせない足の運びは素晴らしいものの、小粒な知盛となりました。

舟長役は小気味よく好演した歌昇、「毛谷村」では六助を。
しかし六助、一筋縄ではいきません。

親孝行のためだと言われればわざと負ける気の好い田舎者としての顔、
助けた子どもの面倒をみる、子ども好きな顔、
「母にしろ」「嫁にしろ」と押しかけられてもすぐに気分を害さず、
「今日は奇妙なことばかり起こるな~」と笑って構えるおおらかさ。
しかし一転、
師匠と仰ぎ見るお園の父・一味斎の横死を知り、かつ
弾正に騙されたと知って形相が変わり、凄みが出るところ。
最後は敵討ちに出掛ける雄々しさと、「女房」に見送られる面映ゆさと。

がんばってはいましたが、六助の心の動きが手に取るように見えるまではいきませんでした。
子どもをあやすところでは泣きすぎ、後半は微笑みすぎか。
どちらかというと、前半におおらかさを、後半は剣術の達人としての厳しさを強調し、
メリハリを逆につけたほうがよかった気がする。
これ、愛之助で観たときもそう思ったけれど、
受けの多い役なので、本当に難しいんですよ。
吉右衛門とか菊五郎とか仁左衛門とか、重鎮がやった初めて味が出る。
大体が、「力持ちの大女」が惚れる「無敵の大男」の話なので、
小柄な歌昇にはただでさえハードルの高い人物でした。

でも、いいんです。
勉強会ですから。本役にするには、当然気の遠くなるような道のりが必要なのです。
「まだまだ」が如実に現れ、はるか向こうに高みの嶺があるのだと自覚することこそ、
勉強会の本分です。

すべてはここから。がんばれ、兄弟!