「菅原伝授手習鑑」昼の部の「筆法伝授」は、
菅原道真が政敵・藤原時平(「しへい」と読む)によって陥れられ、
道真自身は大宰府に流される途中での暗殺されそうになり、
家族も命を狙われる、という流れの中で起きるお話です。
学者出身で清廉潔白、追い落としの糸口がなかなか見つからない道真に
降ってわいた「菅公養女、親王と駆け落ち!」の大スキャンダル!
時平派はここぞとばかり
「菅公はあんな善人ぶってますが、娘を親王の嫁にして親王を帝位につけ、
自分が朝廷を支配するつもりですぞ」と讒訴します。
「大臣の菅原道真、冤罪で逮捕、護送中に暗殺する計画が進行!
内部に裏切り者も発生。家族にも命の危険が!
菅原氏は暗殺を免れるのか?
そのとき、忠臣ドライバー・梅王丸は? 解雇された源蔵は?」…みたいな
今で言うと、永田町近辺を舞台にした社会派サスペンス&アクション、
WOWOWのドラマWとかになりそうな話です。
ところが、その緊迫感を外に据えた上で、
「筆法伝授」は最終場面まで、非常に動きの少ないお話。
どちらかというと、けっこう地味めです。
でも、
人間の心理がとても正直に描かれていて、
何度見ても感動するし、
ラストに至る筋の運びにはいつも感心します。
あまり上演されない場面ですが、
人気の「寺子屋」の前段として、あらすじは押さえておきたいところ。
少し詳しくご紹介しますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外で渦巻く陰謀の嵐から隔絶されたかのように、
菅原道真の邸宅では平安王朝的なゆったりとした時間が流れています。
政治家としてではなく、
書の達人としての菅原道真(片岡仁左衛門)が
奥義を継承する者を選ぼうとしているのです。
そうした夫の心の平安を乱すまいと、
妻・園生の前(中村魁春)は、娘の失態をまだ夫に知らせていません。
そこへ、
かつての一番弟子・武部源蔵(市川染五郎)が
久方ぶりに菅原邸を訪れます。
武部源蔵は、道真の愛弟子だったのですが、
ご法度の社内恋愛をしたため、
破門されてしまいました。
元主人に呼び戻された源蔵が、
ようやく破門が解かれるかと喜びいさんで妻の戸浪(中村梅枝)とともに駆けつけます。
これをよく思わないのが、先輩で現在の一番弟子・稀世(まれよ)(市村橘太郎)。
何かと難くせつけて、
どうにか源蔵を遠ざけようと必死になります。
(稀世は、俗物だけどパタリロ的外見で憎めないキャラ。
あまり動きのない場面の多い中、稀世のコミカルさが救いともなります。
破門され、辛苦を舐める生活をしながらも、源蔵の筆は健在でした。
腕を認められてついに「筆法伝授」!
後継者としてお墨付きをもらえることに。
ところが、
破門は依然解かれないという不可解な目に遭います。
「伝授は伝授、破門は破門」。
道真さん、カタすぎ。
そうなんです、
この「カタすぎ」こそが、すべてのキモだ、と私は思います。
日本人は、清廉潔白が好きですよね。
法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。
道真さんは、その権化みたいな人です。
でも、
普通の人って、もっとウェットでしょ?
「俺とお前の仲」だったら、ちょっと手心加えてほしいこと、ありますよね?
見逃してもらいたいことも、ありますよね。
道真の奥さんの園生の前は、
「ほんとは一晩くらい泊めてあげたいんだけど、主人が・・・」と
自分ではどうにもならないことを詫びつつ、
「一目ご主人に会いたい」という戸浪の気持ちを汲んで、
自分の打掛の中に戸浪を隠して会わせようとします。
これが「情」ってもんでしょ。
でも、道真さんは、ガンとして会わない。
戸浪と、目も合わせようとしない。
戸浪、源蔵にまで八つ当たり。
「あなたはいいわよ、筆法伝授されたし、直接声もかけてもらったじゃない。
私なんか、お顔をちょっと見ることさえできないのよ!」
源蔵は源蔵で必死です。
筆法伝授なんか、稀世でも誰でも他の人に譲っていいから、
何とか破門のほうを解いてくれ、と頼みます。
もともと源蔵、
同じ職場で働く戸浪を本気で好きになっただけ。
御主人を愛し、御主人にまじめに仕えていたんです。
でも、
戸浪を愛しちゃった。そのことだけで「破門」です。
法を破ったことは悪いけど、
その戸浪と、ちゃんと結婚してるんだし。
職場の女性かたっぱしから恋愛してたわけじゃないし。
―僕もけっこう苦労したんです。罰は受けました。
だから、もう許してくれてもいいんじゃないですか?
必死で訴えるも、道真は聞き入れず、取りつく島もありません。
「早く帰れ」と言い置いて、御所に参内してしまいます。
辛いですよね。
どうして自分の愛情を、忠心を、わかってくれないのか。
でも、道真が「情に流されないくらい清い心」の持ち主だからこそ、
源蔵は、戸浪は、この人を主人とあがめて心から慕うわけです。
だから、
道真を演じるときは、
一方で感情を表に出さず、一切の隙や弱みを見せず、
誰にも指差されないよう困ってしまうほど律儀なのに、
奥底には人間の心の機微を見抜く洞察力と、
身分やら身なりやらにとらわれずに公平に慈愛を施す優しさを
持ち合わせていなくてはなりません。
それを、ほとんど何もしゃべらない中、居ずまいと少ない科白の中で表すのです。
今、その役ができるのは、片岡仁左衛門しかいません。
舞台が始まると精進潔斎、肉は一切食べないというくらい、この役に打ち込む仁左衛門。
まさに「神」!
こんなに融通の利かない場面を見せつけられながら、
それでも随所に「源蔵への愛」が感じられる。すごいです!
さて、
参内した御所で、道真は流罪を言い渡されます。
流罪先が決まるまでは、自宅に押しこめと決まり、戻される。
行きは輝くばかりの正装、
帰りは罪人としてすべてをはく奪され縛られての帰宅です。
冤罪であるけれど、道真は逃げたり反抗したりしません。
「勅諚は勅諚」、つまり
自分は何も悪いことはしていないけれど、
天皇のいうことは絶対であるから、という姿勢で全てを受け入れます。
法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。
きっといつか、真実がわかるときがくるから。
警備の者に乱暴しようとする家来の梅王丸には
「抗ったら七生までも縁を切る」といって、制します。
おとなしく自宅へ押しこめられた道真。
事態を聞きつけ、
源蔵が警備の者がいる門前に戻ってきます。
「手出しをしたら、道真公の罪が重くなるぞ!」と言われると、
「私は破門されている、もう主人でも家来でもない!
だから私が何かしても自分だけの責任だ!」と
道真に何の関係もないことを高らかに宣言して警備の者を斬り捨てます。
「伝授は伝授、破門は破門」で苦しんだ源蔵が、
その言葉を逆手にとってご奉公しようというのです。
そして、梅王丸の協力を得、
道真の屋敷から密かに道真の幼い息子・菅秀才(かん・しゅうさい)を連れ出し、
夫婦でかくまうことを決意するのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「筆法伝授」を見てから「寺子屋」(今回は夜の部のラスト)を見ると、
自分の隠れ家を見つけられ、
「菅秀才の首をとってこい」と言われることで、
どんなに切羽詰まっているか、肌で感じ取れます。
もう、人を一人、それもいわば警察官を、殺しているんですから。
・・・それにしても、
実際の菅原道真、悲運の死を遂げてからがすごい。
すべてをはく奪されて大宰府に流されて、そこで不遇のうちに死ぬわけですが、
亡くなって20年の間に
元の右大臣に戻され改めて正一位贈られて、
さらに左大臣になって、太政大臣の位までなって。(すべて死後ですよ、念のため)
それでもおさまらず神様にされて、天満宮が作られて、
40年後には一條天皇が「天皇が敬うべき神社」の一つとして指定した。
日本中に事件事故が多発して、それが全部、道真の怨念だと思われたんでしょうね。
ほんとに祟りとしか思えないほど不幸や天変地異が続けざまに起き、
そして何をどうしても、そうした不幸が収まらなかったんですねー。
彼の歌の中に
「海ならず たたへる水の底までも 清き心は 月ぞてらさむ」
「心だに 誠の道にかなひなば いのらずとても 神や まもらむ」
というのがあります。
自分は何も悪いことをしていない。
「絶対に」です。
やましいことを一切していない。
そう言い切れる人ってすごいでしょ?
凡人、俗人は、自分と同じようにしか他人を測れないから、
人間がここまで「絶対に潔白」だなんて、「絶対ない」と思いますよね。
それだけに、後になって、
大変な人を陥れちゃったっていう気持ちで背筋がゾーってなったんでしょう。
このお話、
語り出すと止まらない!
それくらい深い! ・・・ので、
「本日は、これぎり~」
*歌舞伎では、ラストがチャンバラ(立ち廻り)で終わるとき、
どちらが勝ったとかそういう決着まで見せず、
唐突に役者が居住まいをただし、
観客に向かって正座してあいさつして幕を閉じることがあります。
そのときに「本日は、これぎり~」って言うんです。
「切口上(きりこうじょう)」の一つのパターンです。
菅原道真が政敵・藤原時平(「しへい」と読む)によって陥れられ、
道真自身は大宰府に流される途中での暗殺されそうになり、
家族も命を狙われる、という流れの中で起きるお話です。
学者出身で清廉潔白、追い落としの糸口がなかなか見つからない道真に
降ってわいた「菅公養女、親王と駆け落ち!」の大スキャンダル!
時平派はここぞとばかり
「菅公はあんな善人ぶってますが、娘を親王の嫁にして親王を帝位につけ、
自分が朝廷を支配するつもりですぞ」と讒訴します。
「大臣の菅原道真、冤罪で逮捕、護送中に暗殺する計画が進行!
内部に裏切り者も発生。家族にも命の危険が!
菅原氏は暗殺を免れるのか?
そのとき、忠臣ドライバー・梅王丸は? 解雇された源蔵は?」…みたいな
今で言うと、永田町近辺を舞台にした社会派サスペンス&アクション、
WOWOWのドラマWとかになりそうな話です。
ところが、その緊迫感を外に据えた上で、
「筆法伝授」は最終場面まで、非常に動きの少ないお話。
どちらかというと、けっこう地味めです。
でも、
人間の心理がとても正直に描かれていて、
何度見ても感動するし、
ラストに至る筋の運びにはいつも感心します。
あまり上演されない場面ですが、
人気の「寺子屋」の前段として、あらすじは押さえておきたいところ。
少し詳しくご紹介しますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外で渦巻く陰謀の嵐から隔絶されたかのように、
菅原道真の邸宅では平安王朝的なゆったりとした時間が流れています。
政治家としてではなく、
書の達人としての菅原道真(片岡仁左衛門)が
奥義を継承する者を選ぼうとしているのです。
そうした夫の心の平安を乱すまいと、
妻・園生の前(中村魁春)は、娘の失態をまだ夫に知らせていません。
そこへ、
かつての一番弟子・武部源蔵(市川染五郎)が
久方ぶりに菅原邸を訪れます。
武部源蔵は、道真の愛弟子だったのですが、
ご法度の社内恋愛をしたため、
破門されてしまいました。
元主人に呼び戻された源蔵が、
ようやく破門が解かれるかと喜びいさんで妻の戸浪(中村梅枝)とともに駆けつけます。
これをよく思わないのが、先輩で現在の一番弟子・稀世(まれよ)(市村橘太郎)。
何かと難くせつけて、
どうにか源蔵を遠ざけようと必死になります。
(稀世は、俗物だけどパタリロ的外見で憎めないキャラ。
あまり動きのない場面の多い中、稀世のコミカルさが救いともなります。
破門され、辛苦を舐める生活をしながらも、源蔵の筆は健在でした。
腕を認められてついに「筆法伝授」!
後継者としてお墨付きをもらえることに。
ところが、
破門は依然解かれないという不可解な目に遭います。
「伝授は伝授、破門は破門」。
道真さん、カタすぎ。
そうなんです、
この「カタすぎ」こそが、すべてのキモだ、と私は思います。
日本人は、清廉潔白が好きですよね。
法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。
道真さんは、その権化みたいな人です。
でも、
普通の人って、もっとウェットでしょ?
「俺とお前の仲」だったら、ちょっと手心加えてほしいこと、ありますよね?
見逃してもらいたいことも、ありますよね。
道真の奥さんの園生の前は、
「ほんとは一晩くらい泊めてあげたいんだけど、主人が・・・」と
自分ではどうにもならないことを詫びつつ、
「一目ご主人に会いたい」という戸浪の気持ちを汲んで、
自分の打掛の中に戸浪を隠して会わせようとします。
これが「情」ってもんでしょ。
でも、道真さんは、ガンとして会わない。
戸浪と、目も合わせようとしない。
戸浪、源蔵にまで八つ当たり。
「あなたはいいわよ、筆法伝授されたし、直接声もかけてもらったじゃない。
私なんか、お顔をちょっと見ることさえできないのよ!」
源蔵は源蔵で必死です。
筆法伝授なんか、稀世でも誰でも他の人に譲っていいから、
何とか破門のほうを解いてくれ、と頼みます。
もともと源蔵、
同じ職場で働く戸浪を本気で好きになっただけ。
御主人を愛し、御主人にまじめに仕えていたんです。
でも、
戸浪を愛しちゃった。そのことだけで「破門」です。
法を破ったことは悪いけど、
その戸浪と、ちゃんと結婚してるんだし。
職場の女性かたっぱしから恋愛してたわけじゃないし。
―僕もけっこう苦労したんです。罰は受けました。
だから、もう許してくれてもいいんじゃないですか?
必死で訴えるも、道真は聞き入れず、取りつく島もありません。
「早く帰れ」と言い置いて、御所に参内してしまいます。
辛いですよね。
どうして自分の愛情を、忠心を、わかってくれないのか。
でも、道真が「情に流されないくらい清い心」の持ち主だからこそ、
源蔵は、戸浪は、この人を主人とあがめて心から慕うわけです。
だから、
道真を演じるときは、
一方で感情を表に出さず、一切の隙や弱みを見せず、
誰にも指差されないよう困ってしまうほど律儀なのに、
奥底には人間の心の機微を見抜く洞察力と、
身分やら身なりやらにとらわれずに公平に慈愛を施す優しさを
持ち合わせていなくてはなりません。
それを、ほとんど何もしゃべらない中、居ずまいと少ない科白の中で表すのです。
今、その役ができるのは、片岡仁左衛門しかいません。
舞台が始まると精進潔斎、肉は一切食べないというくらい、この役に打ち込む仁左衛門。
まさに「神」!
こんなに融通の利かない場面を見せつけられながら、
それでも随所に「源蔵への愛」が感じられる。すごいです!
さて、
参内した御所で、道真は流罪を言い渡されます。
流罪先が決まるまでは、自宅に押しこめと決まり、戻される。
行きは輝くばかりの正装、
帰りは罪人としてすべてをはく奪され縛られての帰宅です。
冤罪であるけれど、道真は逃げたり反抗したりしません。
「勅諚は勅諚」、つまり
自分は何も悪いことはしていないけれど、
天皇のいうことは絶対であるから、という姿勢で全てを受け入れます。
法は破ってはいけない、人に迷惑はかけていけない、
自分の家族だけを贔屓してはいけない、友だちだからと手加減してはいけない。
自分が正しいのにそれが通らないからといって暴れてはいけない。
きっといつか、真実がわかるときがくるから。
警備の者に乱暴しようとする家来の梅王丸には
「抗ったら七生までも縁を切る」といって、制します。
おとなしく自宅へ押しこめられた道真。
事態を聞きつけ、
源蔵が警備の者がいる門前に戻ってきます。
「手出しをしたら、道真公の罪が重くなるぞ!」と言われると、
「私は破門されている、もう主人でも家来でもない!
だから私が何かしても自分だけの責任だ!」と
道真に何の関係もないことを高らかに宣言して警備の者を斬り捨てます。
「伝授は伝授、破門は破門」で苦しんだ源蔵が、
その言葉を逆手にとってご奉公しようというのです。
そして、梅王丸の協力を得、
道真の屋敷から密かに道真の幼い息子・菅秀才(かん・しゅうさい)を連れ出し、
夫婦でかくまうことを決意するのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「筆法伝授」を見てから「寺子屋」(今回は夜の部のラスト)を見ると、
自分の隠れ家を見つけられ、
「菅秀才の首をとってこい」と言われることで、
どんなに切羽詰まっているか、肌で感じ取れます。
もう、人を一人、それもいわば警察官を、殺しているんですから。
・・・それにしても、
実際の菅原道真、悲運の死を遂げてからがすごい。
すべてをはく奪されて大宰府に流されて、そこで不遇のうちに死ぬわけですが、
亡くなって20年の間に
元の右大臣に戻され改めて正一位贈られて、
さらに左大臣になって、太政大臣の位までなって。(すべて死後ですよ、念のため)
それでもおさまらず神様にされて、天満宮が作られて、
40年後には一條天皇が「天皇が敬うべき神社」の一つとして指定した。
日本中に事件事故が多発して、それが全部、道真の怨念だと思われたんでしょうね。
ほんとに祟りとしか思えないほど不幸や天変地異が続けざまに起き、
そして何をどうしても、そうした不幸が収まらなかったんですねー。
彼の歌の中に
「海ならず たたへる水の底までも 清き心は 月ぞてらさむ」
「心だに 誠の道にかなひなば いのらずとても 神や まもらむ」
というのがあります。
自分は何も悪いことをしていない。
「絶対に」です。
やましいことを一切していない。
そう言い切れる人ってすごいでしょ?
凡人、俗人は、自分と同じようにしか他人を測れないから、
人間がここまで「絶対に潔白」だなんて、「絶対ない」と思いますよね。
それだけに、後になって、
大変な人を陥れちゃったっていう気持ちで背筋がゾーってなったんでしょう。
このお話、
語り出すと止まらない!
それくらい深い! ・・・ので、
「本日は、これぎり~」
*歌舞伎では、ラストがチャンバラ(立ち廻り)で終わるとき、
どちらが勝ったとかそういう決着まで見せず、
唐突に役者が居住まいをただし、
観客に向かって正座してあいさつして幕を閉じることがあります。
そのときに「本日は、これぎり~」って言うんです。
「切口上(きりこうじょう)」の一つのパターンです。