「鳴神」も、「矢の根」と同じく歌舞伎十八番の1つです。
ですので、お上人のお話ですが、最後は「ぶっかえり」といって、
衣装がぱっと変わり、不動明王のような顔つきになります。
(衣装の早変わりに関しては、歌舞伎や日本舞踊の舞台では歴史があります。
最近のファッションショーなどで、同じような手法が取り入れられていました。)

ただ、
「矢の根」と違って、こちらはストーリーがある。
竜神を封印している鳴神上人が、
自分を籠絡して封印を解けと命じられて派遣された
雲絶間姫(くものたえまひめ)の色香に惑わされてしまうというもの。

見どころは
具合の悪くなった美女を介抱するため、
坊さんが女性の着物の袷から手を入れて
『ここか?ここか?』と胸などを揉みまくるところ
、です。

エロです。

その上、この美女、
「坊さんをオトして来い!」と命令されている女スパイ!


歌舞伎、荒事、坊さん、エロ。

歌舞伎とは「かぶく」こと。
建て前や常識なんか、クソくらえ!
坊さんだって女や酒には弱いだろ。それが人間でしょ。
「おい坊主、抹香臭い顔してオレに説教するな!」っていう
庶民の日ごろの気持ちの代弁です。
アナーキーで、艶笑談。
人気が出るはずです。

ただ、
単なる「庶民のうっぷん晴らしとして偉い人を揶揄する」だけには終わりません。
お上人様、
これまでは本当に真面目だったんです。
そんなお上人様が、酒と女淫に迷い始め、
ついには煩悩とともに生きる世俗を選び
「破戒だ破戒だ!」と叫ぶ、
そこに
「坊さんといっても人間」と共感させるカタルシスがあります。

そこが私は好きなのです、が…。

雲絶間姫の中村米吉は、美しいし堂々としていますが、
正直、エロすぎではないかと思いました。
上人の弟子2人に亡き夫との昔話をしながら、
「川を渡った時に裾をからげ・・・」みたいにスネを見せたりします。
そこが、最初から流し目チックっていうか、
「それそれ、裾あげますよ~、見せますからね~!」みたいに誘っていて、
お姫様というより、お姫様に化けた遊女みたいになってしまっていた。
ラスト近く、
「(上人を誘惑したのは)本心じゃなく、勅命だ(天皇に命令された)から許して」と謝るところ、
ここに説得力がなくなってしまっているのです。
前半はもうちょっとお上品にされたほうがよいかと思いました。
たしかに「わざと誘惑」に来てはいるんだけど、
世の中の悦楽を遮断して修行している坊さんたちにとって、
美女はそこにいるだけでまぶしいわけで、
そんな色目なんか使わなくても十分フラフラなはずでしょ。

女性にもあるじゃないですか。
若いイケメンがふいに上半身裸になっちゃうと、
別に他意もなければ「誘われている」わけでないのに、
なんかドキドキしてまぶしくて、目のやり場に困るような・・・
あんなサワヤカ系の「図らずも」のお色気がベースにあって、
プラスちょこっと「わざと」が欲しいところです。

松也の鳴神上人も同じことで、
高僧としての器が感じられませんでした。
姫が来る前から煩悩ありまくりの、
あるいは、煩悩を断ち切るために仏門に入ったばかり、みたいな
「いまだ悟らず」な状態に見えてしまった。

鳴神上人は、
朝廷が約束を破ったことに立腹して竜神を封じ込め、
世界中を日照りにしてしまうほどの力があります。
人間でありながら、すでに霊的な存在。

弟子たちを相手に姫がする物語を
聞くともなしに聞くうちにどんどん引き込まれていくところも、
最初は本当に「介抱しなきゃと思い」胸をさすり始めたところも、
ちょっとお籠りしていたふつうの男ではなく、
「あの膨らみは一体何?」「女性ってどんなものだったっけ」っていうくらい、
世俗と断絶した存在として、
それこそ「邪気のない」感じを大きく出してほしかった。

そうでなくては、
「手が何かにさわった」というくだりが
家庭教師相手の「青い体験」並みにしか見えない。

最後ぶっかえって六方踏んで、花道を駆けるところも、
「だましたなー!」の相手が姫であって、
朝廷という大きい相手、ひいては日本全体をゆるがそうという
恐ろしさには欠けました。

バレエなどでもそうですが、
「そこに存在するだけで場を支配するオーラ」というものは
そうすぐに獲得できるものではありません。
何事も、最初は小さい一歩から。
次回に期待です。

三月花形歌舞伎について、詳細はこちらをどうぞ。