「寺子屋」は、
源蔵が道真(=菅丞相:かん・しょうじょう)の息子である菅秀才(かん・しゅうさい)を
我が子と偽ってかくまっている細々と営む山間の寺子屋でのお話です。

なぜ平安時代の人間のお話に寺子屋なのか、については、
「菅原道真の時代に寺子屋はあるか?」をお読みください。

また、
どうしてかくまっているのか、など前段のお話は、(3)の「筆法伝授」をお読みください。

このお話は、詳しくあらすじを書きません。

なぜなら、サスペンスだから。

ネタバレしたら、つまらないから。

何度も観ている歌舞伎ファンならともかくも、
歌舞伎ビギナーズ、
すべてわかってしまったら
たった一度の「初めての衝撃」がなくなってしまいますから。

「菅原道真の時代に寺子屋はあるか?」にも書きましたが、

「京都殺人案内・山間の塾殺人事件~元エリート校教師、新入生を殺す
やむにやまれぬ子殺しの理由と衝撃のラスト! せまじきものは宮仕え」

みたいなお話です。
ちょうど2時間ドラマ1本見ると思ってください。

今回は終盤、
源蔵(尾上松緑)の「殺気」がすごかった。

まずは、
寺入り(新しく入塾)してきた寺子(てらこ・生徒)小太郎を迎えに来た母親(片岡孝太郎)と。

隙あらば、と孝太郎に背後からにじり寄る松緑のすり足。
何も感じていないような顔をして、体中をセンサーにする孝太郎。
まるで武士と武士との一騎討ちを見るかのごとき緊張感に、
思わず息を詰めて目を見張る。
刀を振りかざした男が、文箱一つで立ち向かう女に一瞬たじろぐ、
そこに「戦い」のリアリティを見ました。

こうした命のやりとりの真っ最中に乱入してきたのが、
松王丸(市川染五郎)。
時平の手下であり、さっきまで自分たちを蹂躙していた松王丸の登場で、
源蔵は一騎討ちの興奮状態に凄まじい怨念も加わって、
凄まじい勢いで松王丸に飛びかかっていきます。
松王丸は、そんな源蔵を制しつつ、
大小二本の刀を源蔵の前に放り出し、自らのホールドアップを伝え、
とにかく話を聞いてくれ、と源蔵にひれ伏す。
それでも訳がわからない源蔵は、
いつでも松王丸を討ち取れるよう、腰をうかして膝をつき、
右手に持った刀をまっすぐに立てて持って臨戦態勢。

しかし松王丸の述懐を聞くうち、
ある事実が絶対であると悟ったときに、
源蔵松緑は、全身の力を抜き、刀を置き、
たすき掛けにした紐を肩からほどき、
居ずまいを正して正座するのです。

源蔵も松王丸も、
主であって主と言われぬ菅原道真に対し、
不忠者と烙印を押された忠義者同士。
いずれも「不忠者ではない」証を立てんがため、
何の罪もない子どもが犠牲になる。
ラストシーンは、
殺した夫婦が右に、殺された夫婦が左に、
それによって助かった親子が頂点に立って幕となります。

「清廉潔白」な菅原道真を讃える物語は、
彼の「非の打ちどころのなさ」を守るために、
どれだけの人々が不幸になったかを観客の胸に突き刺して終わります。

つまり、
せまじきものは、宮仕え。
天神様の話のようでいて、しわ寄せを食らうしもじもの、弱者の話なのであります。