仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド

一度は観てみたい、でも敷居が高くてちょっと尻込み。 そんなあなたに歌舞伎の魅力をわかりやすくお伝えします。 古いからいい、ではなく現代に通じるものがあるからこそ 歌舞伎は400年を生き続けている。 今の私たち、とくに女性の視点を大切にお話をしていきます。

講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を
東京・東銀座のGINZA楽・学倶楽部で開いています。
歌舞伎座の隣りのビル。
窓から歌舞伎座のワクワクを感じながらのひとときをどうぞ!
これまでの講座内容については、http://www.gamzatti.com/archives/kabukilecture.html
GINZA楽・学倶楽部についてはhttp://ginza-rakugaku.com/をご覧ください。

百花繚乱、よりどりみどりの東京歌舞伎、
ピカ一の舞台が、
歌舞伎座夜の部トリを飾る市川猿之助の「黒塚」 です。

「黒塚」は奥州の山中で暮らす老女・岩手が高僧に出会い、
人を喰らって生きてきた自分でも来世を望めるのか、と
一瞬の希望に心を輝かせたのもつかの間、
裏切られた思いに怒りを爆発させる舞踊劇で、
「猿翁十種」に数えられる澤瀉屋には大切な演目です。

猿之助の襲名公演でも観ましたし、
そのときも、さすが猿之助の名を継ぐにふさわしい出来と思いましたが、
今思えば、
あれはその片鱗であり、ほんの始まりに過ぎませんでした。

声、形、表情、身体能力、音楽との調和、緩急、
沈黙を支配できる存在感、力強さ、スピード、
憤怒、哀れ、至福、残酷…。
一体どれほどの才能が、彼の小さい身体に詰まっているのか。
私は取り立てて猿之助の大ファンというほどではありませんが、
好みの問題を突き抜けて、
心から感服、惚れ惚れします。

これからも、当代猿之助は長い時間をかけて、
自らの「黒塚」を磨き上げていくことでしょう。

今月の歌舞伎座公演については、こちらをどうぞ。
26日までです。

この名舞台を、
実は1300円で見られるんです!
一幕見といって、
直通エレベーターで4階に上がり、一演目のみ見るという制度。

これについては、
また明日。




 

1月9日、
「女性の視点で読み直す歌舞伎」第5クール第一回が開催され、
無事に終了。
今月上映のシネマ歌舞伎「日本振袖始~大蛇退治」について、
「神話と世話のリミックス」「スサノオと二人の姫」について語りました。

「日本振袖始~大蛇退治」はヤマタノオロチの退治のお話です。
近松門左衛門は、全五段の長編舞台を書きましたが、
「大蛇退治」は全体からみると、クライマックスのところ。
今回の歌舞伎では、五段目に四段目の一部を入れて
舞踊劇に仕立ててあります。

ここだけを見てもとても素晴らしい、力のある作品。
その素晴らしさを身近に触れていただきたいと、
「大蛇退治」に至るまでの道のりや人間(神?)関係を整理、
舞台では短く表れる科白にこめられた意味を探っていきました。

また、
ヤマタノオロチの話なのになぜ「振袖始」というのか、
そのあたりもお話しすると、
「へえ~!」と皆さん驚いていらっしゃいました。

私個人としては、
一見無力に思える稲田姫(ヤマタノオロチの生贄にされる)を、
近松がとても行動的で芯のある女性に描いているところが
新鮮でした。

女性には運命に流されるようなたおやかさがありながら、
その運命の中で自分のできることを探し、
力強く、自分らしく、生きていくたくましさがあります。

近松が描く女性像は、とっても深い。
ヤマタノオロチと重ねられた岩長姫の憤怒と哀しみもまた、
近松の女性観察のたまもの。
単なる「嫉妬女」ではないところが素晴らしい!

そこを玉三郎が奥底まで考察し、演じきっています。
ヤマタノオロチをいかに演出するか、
ここの美術・殺陣がまた圧巻で、ぜひご覧くださいね!

シネマ歌舞伎の情報はこちらを、
「女性の視点で読み直す歌舞伎」についてはこちらをご覧ください。



新春浅草歌舞伎でもう一つ、
感心したのが「仮名手本忠臣蔵」の五段目、六段目です。

五段目 山崎街道鉄砲渡しの場、同・二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

配役は以下の通り。
      
早野勘平 が 尾上松也、おかるが中村児太郎。
おかるの母おかやは中村芝喜松、父・与市兵衛が澤村大蔵。
四十七士で勘平の友、千崎弥五郎が中村隼人、重鎮不破数右衛門が中村歌昇。
おかるが売られる遊郭・一文字屋の女主人お才が中村 歌女之丞、
お才と一緒にやってくる判人(女衒)の源六が 中村 蝶十郎、
夜の山崎街道でおかるの父を殺す斧定九郎が坂東巳之助です。

きっちりと演じた皆にまず拍手。
松也・児太郎のコンビが恋する若夫婦をとても若々しく、
感情豊かで見ごたえ十分。

松也は声がのびやかで、さすが音羽屋。
菊五郎や菊之助の舞台を感じました。
切腹してからの「いかなればこそ勘平は・・・」のくどきは、
非常に切羽詰った緊迫感があって、
耳馴染みのよい七五調でありながら、現代的。
昨年のコクーン歌舞伎「三人吉三」でも
「月も朧に白魚の・・・」からのくだり、
お坊吉三(松也)とお嬢吉三(七之助)の掛け合いが
今までに見たこともないような疾走感にあふれていて、
それを経験した松也ならではだったのではないかと思いました。
また、
拾った五十両で武士に戻れると意気揚々と帰宅し、
「いいこと」を早くおかるに言ってしまいたい浮き浮きした表情と、
「ではあれは…」と気づいてからの悲嘆の落差が
くっきりとしていながらわざとらしさがなく、勘平の人となりに一貫性がありました。

児太郎
は古風さが忠臣蔵にうまくはまり、
古風さの中にも恋の景色が初々しいこと!
声もよく、間もよく、素敵なおかるでした!

「五十両~」と一言いって撃たれてしまう斧定九郎の巳之助も、
切れ味のよい演技と姿で存在感。
お顔もお父さん(坂東三津五郎)に似てきました~。

さらに!
不破数右衛門という、
普通なら大星由良之助(=大石内蔵助)級の重鎮が演ずる役を、
歌昇が声を低く絞って巧みに演じ、びっくり!
隣りの隼人と年齢差はあまりないのに、
弥五郎と数右衛門の格の差をちゃんと保っていました。

芝喜松、歌女之丞が脇をびしっと固めてくれたおかげもあって、
いい舞台となりました。

歌舞伎の未来は明るい!と思えた浅草新春歌舞伎でありました。
1/26まで。ぜひご覧ください!

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